伝統ある江戸前漁業を100年間守っていく。日本初の漁業改善プロジェクトは今(後編)

伝統ある江戸前漁業を100年間守っていく。日本初の漁業改善プロジェクトは今(後編)

漁業改善プロジェクト(FIP)とは、漁業者だけでなく、行政、研究者、企業、NGOなど様々な専門知識をもった人が集まって漁業の課題を解決し、MSC認証を取得できる、つまり持続可能なレベルにまで改善するプロジェクトのことです。

日本初のFIPに取り組んできた大傳丸六代目漁労長の大野和彦さんは、この5年間の進捗をどのようにとらえ、今の日本の漁業にどんな思いを抱いているのか、最近の心境を伺いました。(前編はこちら


江戸前漁師の風格が漂う船上の大野さん

 

DX時代の漁獲データ記録システム

—―FIPの取り組みの中で、漁獲データの記録について教えてください。

FIP2年目に漁獲データの記録を提示されました。1投網ごとに、日付、時刻、東経、北緯、水深、風向き、そこで捕獲したのは体長何十センチから何十センチまでのスズキが何キロ、混獲されたのは、たとえばタチウオが何キロと逐一記録するのです。一網で数十種類の魚が入ることもありますが、全部記録するわけです。

日々の操業ではメモを取って、週に一度の休日にエクセルのワークシートに入力するという作業を丸一年間続けたら、FIPの進捗評価でAをいただいて励みにはなりましたが、はっきり言って大変です。最盛期には10数回投網するんですよ。それを記録する作業がもう少し何とかならないものかと。

その頃、水産業のDXを手掛ける株式会社ライトハウスの新藤さん(現、同社代表取締役CEO)が、まだ起業前で漁業者の意見聴取のため全国行脚中に私のところにも来られたので相談してみました。彼らの主力はソナーとか魚群探知機の画像を共有して効率的な操業ができるISANAというシステムなのですが、漁獲データ記録システムの構築にも取り組んでくれまして。ちょうど1年前にほぼ完成し、契約しました。

おかげでそれまでは備考欄に手入力していたような「ウミガメに遭遇。網に入り放流」といった記録も、タブレット端末にタッチペン方式で入力できるようになりました。これからもさらにブラッシュアップしていくのが楽しみですね。


ISANAで航路も記録できる

トレーサビリティーの価値

—―さらに、ブロックチェーンを活用して、流通過程でのトレーサビリティーにも取り組んでおられます。流通業者や消費者の意識は変わってきていますか?

まだまだです。

漁師って、自分が魚を獲ったポイントは誰にも知られたくないんです。漁獲データもごまかして提出するのがあたりまえでした。そういう意味で、私たちが獲っている魚は全く違います。ここまで手間をかけて漁獲データを明らかにしているわけです。

資源管理をするということは、自分の収入を制限することにつながり、その減った部分を新しい価値で埋め合わせないとペイしません。漁獲データがブロックチェーンによって分散管理され、改ざんできない正真正銘のデータだということの価値をわかってもらいたいと思います。

もしかすると闇社会を通ってきたような魚を食卓に出して、知らない間に犯罪に加担するのではなく、「魚を買う」という消費行動によって、FIPに取り組んでいる漁業者を応援していく。日本もそういう社会にしたいじゃないですか。

幸いなことに、若い人たちの意識が高くて、MSC認証に対する認知も少しずつではありますが高まってきています。やはり教育が大切だと思います。学校でも食育の観点から給食に魚を出すという活動をしていますが、授業の現場でも子どもたちに今の海の危機的な状況を伝え、このままいくと何年後かには魚がいなくなってしまうかもしれないことに思いを馳せてもらいたいですね。

改正漁業法とこれからの資源管理

—―70年ぶりに改正され、2020年末に施行された改正漁業法について、大野さんはどう考えておられますか?

大筋では良い流れだと思います。しかし、業界一丸となって革新的進歩を求めた養殖業界が、今回の法改正で、より参入しやすくなり法的な優遇も勝ち取るなどの成果を挙げたのに比べると、天然ものを扱う我々のような漁業者は変革を進めきれず、まごまごしていると置いてけぼりになる感があります。たとえば、養殖のエサになるからといういう大義を掲げて「ろうそくサバ」と呼ばれる小さなサバをたくさん獲るのは養殖のための漁業なのか?漁業者としてのプライドはどこへ行ってしまったのかと。

天然ものが少なくなったから養殖で安定的に賄うのはわかりますが、天然ものを相手にする漁業の価値を、価格だけでなく、もっとストーリーで伝えていくようなマーケティングやブランディングをしていかなければと思いますね。


魂を込めたキャッチコピー「さわらの神」で江戸前のサワラもブランディング

 

—―2年連続で水産物の生産量が過去最低を更新しました。水産物の生産量の減少傾向には歯止めがかからないのでしょうか。

自分の財布の中にいくら持っているかわからないのに、ブランド物のバッグを買えないのと同じです。まず、どこの海域にどんな魚がどのぐらいいるのか、科学的な資源評価を基本的な情報として共有し、それを踏まえて漁業の計画を立てていくべきだと思います。

海洋資源は無尽蔵ではないわけだし、魚が少なくなったのはみんな薄々感じています。ところが、証拠として数字で見せられない限り、知らないふりで今までと同じようなことをやっている。その結果が「2年連続で水産物の生産量が過去最低を更新」ということです。

だから、公的な機関で資源評価を発表してもらって、きちんと漁獲割当てなどをつくって管理しながら漁業をしていかなければならないと思いますね。東京湾は特にそうです。

奇跡の江戸前漁業を引き継ぐ

—―その東京湾の水は、かつてと比べてきれいになったのでしょうか。

子どもの頃は、「ここで獲った魚って食べられるの?」と思っていました。船橋のゴールデンビーチなんか汚い水でしたからね。そういう所で育ったので、東京湾で漁ができているのも奇跡だし、魚が食べられるのはもっと奇跡だと思っています。環境基準や水質汚濁に関する基準が厳しくなって、確かに水はきれいになりました。

ただ、瀬戸内海同様、東京湾も貧栄養化状態にあって、プランクトンなどのエサが減り、食物連鎖の中で魚の体長が年々小さくなり、身の厚みも薄くなっているなと感じています。また、マイクロプラスチックの問題も深刻です。

—―東京湾での漁業の意義をどうとらえていますか?

高層ビルに囲まれて工業地帯もある海で、本船が行き交う中でまき網漁業をやっているなんて、本当に奇跡に近い漁業だと思うんですよ。あんなに痛めつけられた東京湾でさえも、良いものが脈々と受け継がれているという成功事例として、日本全国の沿岸漁業の発奮材料にしたいですね。

 


東京湾で操業中。幕張メッセから朝日が昇る

自分の船に乗って40年間、東京湾に大変な負荷を与えてきました。乱獲もしてきました。より多く魚を獲るために、いろいろな技術が発達して、どんどん獲る「共有地の悲劇」です。その罪の意識というか贖罪というか……。

「100年漁業継続プロジェクト」というのを旗揚げしました。私は100年前の祖父から受け継ぎ、今まさにバトンタッチのゾーンの中にいるわけで、次の100年を託す若い人たちに、本当にこれを渡していいのかという状態で渡したくないですから。

だから、あと数年で船を下りた後は、カーボンニュートラルとかマイクロプラスチック回収とか、そういった環境方面にも自分の活動が及んでいく、そういう方向に進んでいきたいと思っています。

有り難いことに、我々には「江戸前」というブランドが残っているんです。粋な江戸の文化。これをオリンピックで発信したかったのですが、今後は次世代の「江戸前ブランド」をつくっていきたいなと。もう、獲った者勝ち、早い者勝ちという魚の奪い合いの漁業ではなく、管理された豊かな資源状態の中で、もっとおおらかに、持続可能なものとして、この江戸前漁業を次の世代に伝えたいと思います。

 


海光物産の新しいロゴデザイン。江戸紫色の「EDOMÉ(=えどめえ)」は粋がった江戸弁。漢字で右肩上がりの「江戸前」は大野さんの自筆。右向きの大きな黒三角の魚は下唇が少し出ているスズキをイメージしたもの。よく見ると、左向きの小さな白三角の魚を食べている。〝食物連鎖〟を表現すると同時に、「小さな魚は獲りません」「食物連鎖を維持する生態系を守りましょう」と言うメッセージ

 

大野 和彦
大傳丸六代目漁労長。1982年大学卒業と同時に父が経営する(株)大傳丸に入社。1989年海光物産(株)設立。1993年より両社の代表取締役を兼任。2014年スズキの活〆神経抜きを『瞬〆』と命名、『江戸前船橋瞬〆すずき』として千葉県ブランド水産物や全国プライドフィッシュ夏の魚に認定される。2016年日本初となる漁業改善プロジェクト(FIP)への取り組みを発表。2018年海光物産としてマリン・エコラベル・ジャパン(MEL)Ver.1を取得。現在同Ver.2申請中。

 

取材・執筆:井内千穂
中小企業金融公庫(現・日本政策金融公庫)、英字新聞社ジャパンタイムズ勤務を経て、2016年よりフリーランス。2016年~2019年、法政大学「英字新聞制作企画」講師。主に文化と技術に関する記事を英語と日本語で執筆。