【2025年新春対談】 ILOと考える人権課題:企業だからこそできる サプライチェーンへのアプローチ(後編)

【2025年新春対談】 ILOと考える人権課題:企業だからこそできる サプライチェーンへのアプローチ(後編)

水産業界における人権課題への取り組みは、グローバルスタンダードとの調和が求められる一方で、日本独自の課題解決も必要とされています。特に、水産物輸入大国である日本には、サプライチェーン全体での透明性確保と、マーケットパワーを活かした改善への貢献が期待されています。

前編で水産業界における人権課題の現状を語り合ったILOの田中竜介さん*と株式会社シーフードレガシーの花岡和佳男。後編では、労働者の声を届けるための技術活用から、金融機関の役割、消費者との対話まで、サステナブルシーフードの主流化に向けた具体的なアプローチと、2030年に向けた展望について議論を深めました。持続可能な水産業の実現に向けた道筋を探ります。

*本記事における田中竜介さんの発言は個人の見解によるものでILOとしての見解を示すものではない旨発言がなされました。

船上の労働者が一番に求めていたもの

田中:TSSS2024では、船上Wi-Fiの整備*も話題に上りましたね。以前に、あるNGOからこの話を聞いた時、非常に新鮮でした。面会を求められ、ILO条約の効力や企業の取り締まりについて厳しく指摘されることを予想していたのですが、驚いたことに、彼らの最優先課題は「船上Wi-Fi」の一点だったのです。

 

*雇用者に対してきわめて弱い立場に置かれている漁業労働者の生活条件を改善するために、漁業労働者も船上でインターネットが使えるようにすること。

花岡:船上Wi-Fiが最優先とは意外ですね。

田中:サプライチェーンを掘り下げていっても、ごく一部の情報にしかたどり着けませんし、船や労働者が頻繁に変わるので、特に漁業における労働者の実態把握は難しいと言われています。そこで重要になるのが、グリーバンス(人権侵害の救済制度)です。労働者が直接声をあげ、救済を受けるためにも船の上のWi-Fiが必要なのだという説明にストンと腹落ちしました。

2017年2月、タイのパンガー県にて、漁船上で政府の査察を受ける漁師たち。© ILO

花岡:日本の水産企業やサプライヤー企業も、積極的に自分たちのサプライヤーチェーンで船上Wi-Fiを使って、グリーバンスを実践しているということを発信していけるといいですね。

田中:そうですね。それに、通信環境の整備は労働者の生活の質の向上にもつながります。洋上の労働者にとって最も辛いのは家族と会えないことなので、Wi-Fiでビデオ通話できるだけでも大きな心の支えになります。

金融が促す変革

花岡:最近は金融業界からの働きかけも増えています。3、4年前までは、人権侵害のリスクがあり水産資源も枯渇させて衰退していく水産ビジネスに投融資することのリスクが語られていたのが、ガラッと変わりました。

田中:サステナブル金融の拠出額がここ7~8年で急激に増え、責任投資原則(PRI)に署名する機関も5000を超えています。業界の人から聞くのは、金融投資市場では長期投資のシェアが高く、年金の運用など、10年、20年先を見据えた長期投資では、ある企業が存続するかどうかを考える際に、環境面や社会面の課題への取り組みが投資判断の重要な要素となるということです。なぜなら、社会の変動が激しいので、柔軟に社会課題を読み取って適応できない企業は、存続できないと見られるからです。存続を危ぶまれる企業が、長期的な投資対象として選ばれにくいのは当然です。

花岡:金融業界からの働きかけにより、企業がサステナビリティに関する取り組みを強化するということは、ここ3年の水産業界でも感じたところです。

 

消費者に対してどう働きかけるか?

花岡:サプライチェーンの最終的なところは消費者です。魚はあたりまえに食べられるものだと思われていて、水産のサステナビリティや人権侵害といった問題は、あまり意識してない消費者がまだまだ多いのが現実です。シーフードレガシーは消費者に直接働きかけることはないのですが、BtoCの事業を行っている企業に対して、消費者とのコミュニケーションについて、お手伝いはしています。ILOの立場からは、消費者に対してどういうアプローチをされるのですか?

消費者へのアプローチについて、意見を交わすILOプログラムオフィサーの田中竜介さん(右)と
株式会社シーフードレガシー代表取締役社長の花岡和佳男(撮影:青木信之)

田中:面白い質問ですね。難しいところなんですよね。やはり消費者が意識を変えてくれないと事業者としては動きづらいと思います。限られたリソースで消費者が望むものを届けるというのが企業のDNAです。ですから、消費者に変わってほしいとは思いますが、購買力にはばらつきがあり、サステナブルなものを買いたいと思う層もいれば、そうではない層もたくさんいて、全部含めて消費者です。

大事なのは消費者に選択肢があるかどうかだと思います。そのためには、商品に支払う対価が、物質的な価値だけでなく、社会的な価値を生む活動にも生かされているかといった情報を開示することで、消費者にアプローチすることも考えられますね。

花岡:それは透明性の話ともリンクしますね。そもそも、シーフードレガシーが目指しているのは、消費の部分で言うと、消費者があたりまえのように手に取る魚が、サステナブルかどうか、いちいち気にしなくてもいいような社会なのです。そのためには、消費者の意識も大事ですが、マーケットがそうあることが大事で、だからこそ、消費者に直接働きかけるのではなく、ビジネスを変えることで消費者の意識を上げていこうというアプローチでやってきました。

株式会社シーフードレガシー代表取締役社長 花岡和佳男(撮影:青木信之)

法制化の波が押し寄せる

花岡: EUで「企業サステナビリティ・デューデリジェンス指令(CSDDD)」が発効しました。水産業界でも企業が人権方針を策定し、人権デューデリジェンスに着手する企業があらわれはじめています。近年の世界的なこの動きを田中さんはどのようにご覧になっていますか?

田中:法制化・義務化の流れは国連の報告書の中でも「Wave」、つまり「波」として指摘されており、簡単には消えないだろうと言われています。さらに人権デューデリジェンスの中に、強制労働や児童労働だけでなく、生活賃金やリプロダクティブヘルス*、さらにAIと人権といった新しいテーマも入ってきています。これらの高まっていく要求に答え続けることはコンプライアンス上必要ですが、大きな波の源流にある、なぜその波が来ているのかという本質を見極める必要があると思います。

*性や子どもを産むことに関わるすべてにおいて、身体的にも精神的にも社会的にも本人の意思が尊重され、自分らしく生きられること

企業にとって、特に重要なのは説明責任です。単なる情報開示というよりは、サプライチェーン全体で何が起きているかを把握し、その根本原因に適切に対応していることを説明すること。これは社会からの期待に応えることで企業価値の向上につながる取り組みです。何を課題と認識し、それにどう向き合っているかを説明することが、人権デューデリジェンス法にしても、CSDDDにしても、他の貿易措置にしても、その根本とされているように思います。

ILOプログラムオフィサーの田中竜介さん(撮影:青木信之)

花岡:義務化の流れは日本でも起こってくるものでしょうか?

田中:長い目で見れば必ずそうなると思います。というのも、今までもそうでしたが、社会的な要請が高まってくると、それを追いかけるように法的な仕組みが整えられてきます。企業規模を問わず、経済はグローバルにつながっているので、この大きな波は日本にも押し寄せてくるのではないかと思います。

サステナブルシーフードを主流化するには

花岡:TSSS2024では、2030年に向けて「サステナブルシーフードを主流に」するというゴールを掲げました。
このサステナブルシーフードというのは、環境面だけでなく、人権や社会面も含めています。主流化というのは、先ほどお伝えしたように、認証がついているかどうか、いちいち考えなくても、消費者が普通に買う商品が、環境や社会にも良い状態というものです。これを実現するために必要と思われることは何ですか?

田中:これが一番難しい質問ですね。主流化を妨げるのは本当に様々な要因があると思いますが、なかなか答えが出ません。

一つはやはり、IUU(違法・無規制・無報告)漁業の抑制だと思います。IUU漁業で獲った魚が安く店頭に並んでしまうことによって、頑張っている人たちのやる気を削いでいるという実態はあちこちから聞こえてくるので、その規制を厳密にすることは、「主流化」のためには絶対に必要だとは思います。

他方、正式な契約がなかったり、最低限の生活を維持するのにぎりぎりの賃金しか得られなかったり、国の保護も届かず非常に不安定なマーケットもあるわけですよね。そのようなインフォーマルエコノミーを片っ端から潰してしまったら、地元の人は生きていけません。より不透明で救済の手の届かないアンダーグラウンドの世界に、生きるために仕方なく落ちていく人をつくることにもなります。もちろん、IUU漁業の根絶を目指すべきですが、その過程で貧困にあえぐ人々の生活を奪ったり、ディーセントな雇用が世界的に失われたりすることは、ILOとしても、防がなければならないところですね。

バヌアツの首都ポートビラの生鮮市場。インフォーマルエコノミーで生計を立てる人々がいる。(C) ILO/Daniel Kostzer

花岡:確かに。

田中:だからこそ、各国政府に力をつけていただいて、インフォーマルエコノミーをフォーマル化していく。それも産業の付加価値をつけつつ成長させていくことが重要だと思います。それをシーフードでやろうとすると難しいので、そこが私の悩みです。

花岡:たとえば、インドネシアのジャングルの奥にある桟橋とも言えない細い木の板1枚のところから小さな船を出して、全く資源評価もされていないような魚を獲って、売って、食べて、というような生業があります。そういったところにはそもそもルールがないし、管理もされていません。そういった生業も、いかに管理して残していくのかというところが大事なのかなと思いますね。

欧米モデルの資源管理をすると、大規模漁業だけを残して、管理できない漁業は排除することになりますが、私はそうはしたくないのです。これまでサステナブルシーフードの動きは、欧米の動きに日本がついていくような、そうせざるを得なかったところがありました。

これからの10年間は、日本が何をしたいのか、日本をどうしたいのか。やはり、小規模沿岸漁業をいかに管理して持続できるような形にするか、それをつくって、同じような状況にあるアジアの国々にモデルとして提供できればいいし、それがきっかけになって、管理された小規模沿岸漁業で、ちゃんと持続可能性のある社会をつくる、これを、2030年までにやりたいと思います。

ベトナム南部ビンディン省タムクアンの海岸で、朝の漁に出る漁師とその家族 © ILO

田中:素晴らしいと思います。だからこそ周辺環境の整備が必要なんですよね。例えば、マイクロファイナンス(小規模貸付)。小規模漁業者が、大きな元手がなくても借りられるという金融へのアクセスですね。そして、マーケットの環境整備です。政府が食品衛生的なチェックもしっかりしつつ、乱獲を防ぎ、マーケット開拓やビジネスマッチングなどのサポートができることも必要で、それには開発協力の力も結構大きいと私は思います。JICAなども同様のコンセプトの取り組みを行っているので、そこにもっと光が当たってほしいと思います。

花岡:そこでも鍵となるのは透明性だと思います。認証が取れるか取れないかといった「ゼロか1か」ではなくて、いかにこのプロセスを透明化して、その努力に対するファンを増やし、マーケットを広げていくかが大事かなと思います。

田中:ファンを増やすには、たとえば映像を撮るのが有効だと思うんですよ。消費者への働きかけの話に戻ると、たとえば、フィリピンの「バナメイエビ」という名前は知られていますが、それが養殖される場所でどんな人たちが働いていて、どんな課題があるのか、という話は、文字ではなかなか伝わらないので、映像や音声で伝える「生産者の声」はじわじわ効くと思います。

貧困を終わらせる最初の世代、地球を救える最後の世代

花岡:2025年に入り、SDGsの達成まで5年弱となりましたが、達成に向けて、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

田中:SDGsは、2015年に合意された目標ですが、その前文から私の心に刺さった言葉を引用させてください。

「我々は貧困を終わらせることに成功する最初の世代になり得る。同様に地球を救う機会を持つ最後の世代になるかもしれない」

私たちの努力が功を奏するには時間的な限界があるのです。今日すべき取り組みを明日に遅らせたら、それだけ格差も広がり、それだけ被害者も増え、構造化していきます。2030年に向けて、地球はもう分岐点を過ぎている。いま2025年なので、もう一歩でも遅れたら後戻りできないところまで来ています。2015年当時の私達が、地球を2030年までに持続可能にするために、現在の私達に語りかけている。この言葉は重いです。

株式会社シーフードレガシー代表取締役社長の花岡和佳男(左)にSDGs前文のコピーを見せるILOプログラムオフィサーの田中竜介さん(撮影:青木信之)

花岡:本当に重い言葉ですね。最後に、田中さんご自身の今年の抱負がありましたら。

田中:1人でも多くの人に会いにいこうと思います。国際機関の職員は、国際政治の場にも出入りできる立場にあり、それは私がILOを志した理由でもあります。今の立場で会える人たちと、とにかく会って、その人たちから得た様々な要望やアイディアを皆さんと共有していけるといいなと思います。

 

2024年6月にスイス・ジュネーブのILO本部で開催された第112回ILO総会 © Ania Freindorf / ILO

花岡:私の新年の抱負は3点。一つ目は日本のマーケットトランスフォーメーションをさらなるポリシーシフトの原動力としていくこと。二つ目は小規模沿岸漁業が持続するシステムをステークホルダーと共に確立すること、そして三つ目は日本でのこれらのイニシアチブを東アジアや東南アジア地域と共有することです。どれも大きなチャレンジですが、たくさんの同志やステークホルダーの皆様とビジョンを共有することで、達成していけると思っています。明るい未来を仲間と作るワクワク感を常に忘れずに前進を続けていきたいです。

本日はどうもありがとうございました。2025年も、それぞれの立場からサステナブルシーフードを推進していきましょう!

 

 

田中竜介(たなか りゅうすけ)
兵庫県生まれ。慶應義塾大学卒。米ニューヨーク大学ロースクールLL.M.。弁護士を経て、2016年より現職。現在、SDGsやビジネスと人権等の文脈において国際労働基準の普及活動に従事。日本の政府、使用者及び労働者団体、市民社会との協業のほか、諸国大使館との連絡窓口の役割も担う。グローバルサプライチェーンに関するプロジェクトの組成・実施を担当。外務省ビジネスと人権に関する行動計画に係る作業部会委員、経済産業省サプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン検討会委員を歴任。

花岡和佳男(はなおか わかお)
フロリダの大学にて海洋環境学及び海洋生物学を専攻。卒業後、モルディブ及びマレーシアにて海洋環境保全事業に従事し、2007年より国際環境NGO日本支部でサステナブルシーフード・プロジェクトを企画・始動・牽引。独立後、2015年7月に東京で株式会社シーフードレガシーを創立し、CEOに就任。「海の自然・社会・経済の繋がりを象徴する水産物(シーフード)を、豊かな状態で未来世代に継ぐ(レガシー)」ことをパーパスに、環境持続性及び社会的責任が追求された水産物をアジア圏における水産流通の主流にすべく、国内外の水産業界・金融機関・政府・NGO・アカデミア・メディア等の多様なステークホルダーをつなぎ、システム・シフトに取り組んでいる

 

 

取材・執筆:井内千穂
中小企業金融公庫(現・日本政策金融公庫)、英字新聞社ジャパンタイムズ勤務を経て、2016年よりフリーランス。2024年、法政大学大学院公共政策研究科サステイナビリティ学修士課程修了。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。主に文化と技術に関する記事を英語と日本語で執筆。

写真撮影:青木信之

 

 

 

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