青島を拠点に中国からサステナブルシーフードの主流化を目指す(前編)

青島を拠点に中国からサステナブルシーフードの主流化を目指す(前編)

 

中国は世界最大の水産物生産国。『世界漁業・養殖業白書(SOFIA)』(国際連合食糧農業機関FAO発行)によると、2022年の世界の水産物生産量(漁業・養殖業の合計)2億2320万トンのうち、中国が36%(約8000万トン)を占め、2位のインド(8%)を大きく引き離して圧倒的な1位を誇ります。水産物輸出も盛んで、2002年以来、中国が世界最大となりました。サステナブルシーフードの推進は中国抜きには考えられません。

その中国で、王松林(ワン・ソンリン)さんは、環境NGOの青島マリーン・コンサベーション・ソサエティ(Qingdao Marine Conservation Society; QMCS)を創設し、これまで20年にわたり、海洋保全とサステナブルシーフードの推進に実務と研究の両面から携わってきました。

前編では、様々な国際NGOでの経験や、中国北部では初めての、水産物の持続可能性と海洋環境保全のための中国人によるNGOの立ち上げと取り組みをうかがいます。

 

王松林(ワン・ソンリン;Wang Songlin)
中国の海洋保全とサステナブルシーフード運動において、20年におよぶ研究と実務を経験。ザ・ネイチャー・コンサーヴァンシー、世界自然保護基金(WWF中国およびWWFインターナショナル)、ポールソン・インスティテュート、オーシャン・アウトカムズでキャリアを築いてきた。2017年に青島マリーン・コンサベーション・ソサエティ(QMCS)を設立し、以来同協会の会長を務める。中国海洋大学で海洋生態学を専攻。イェール大学の森林・環境学大学院で環境管理の修士号を取得。

将来の道を開いた米国留学

――早い段階で、海洋分野を専攻しようと決めたのですか?

私は青島(チンタオ)に生まれ育ち、海岸から数キロしか離れていない所に住んでいました。海と陸のどちらの動植物も好きでしたし、近くに、中国で最高レベルの大学の一つである中国海洋大学があったので、そこに進学するのは自然な選択でした。海洋生態学を専攻し、大学院では沿岸生態系ガバナンスを専攻しました。

――中国の大学院を修了後、さらにアメリカに留学されましたね。

中国の若者にとって欧米はとても魅力的でしたし、アメリカは漁業管理や生物多様性の保全の分野でも進んでいると思っていたのです。2003年、私は人生で初めて飛行機に乗り、ニューヨークに向かいました。25歳の時でした。

――当時、中国人学生の海外留学は珍しくなかったのですか?

改革開放政策のおかげもあって留学生は増えていました。当時、アメリカと中国は政治的にも経済的にも蜜月期で、若い学生の交流も活発でした。私はその時期に恩恵を受けた何万人もの中国人学生の一人です。アメリカやイギリスなどに留学したクラスメートが何人かいます。

――アメリカ留学の2年間はいかがでしたか?

イェール大学の森林・環境学大学院で環境管理を専攻しました。留学する頃には自分は生態学の研究者には向いていないと気づいて、環境保全の専門家になろうと思ったからです。でも、当時はNGOで働く機会があるとは知りませんでした。NGOが何であるかさえ知らなかったのです。

2005年5月にイェール大学森林・環境学大学院修正過程を修了。左は当時の
ジェームズ・グスタフ・スぺス学部長(写真提供:王松林)

アメリカ留学のおかげで、気候変動や生物多様性に関する国際条約から基本的な財務会計や組織運営のための管理手法まで、幅広い知識を得ることができました。

駆け出しは国際NGOの中国オフィス

――米国留学を終えて、中国に戻った後の最初のステップは何でしたか?

中国に帰国した2005年、最初に就職したのは国際環境NGOのザ・ネイチャー・コンサーバンシー(TNC)です。当時、TNCの中国プログラムは雲南省で先行し、北京オフィスが2004年に設立されたばかりでした。2004年の夏休み、私は幸運にもTNC北京オフィスのインターン生として、海洋保全計画の青写真づくりを手伝い、留学後すぐにフルタイムの仕事のオファーをもらったのですが、勤務地は、中国で陸地の生物多様性のホットスポットの一つだった雲南省でした。

――雲南とは、また北京から随分遠いですね。

そうなんです。私の人生で唯一、海から遠く離れて暮らした時期でした。雲南に拠点を置く保全ディレクターのアシスタントとして、一般的な管理業務中国のコミュニティワークを学びました。しかし、それは陸地と内陸水系の仕事でした。そこは「三江併流地域と呼ばれ、今では世界遺産です。

しかし、どう居心地が悪く、一年後、海が私を呼んでいるような気がしました。ホームシックだと思います。その頃、パナソニックのおかげで大きな変化がありました。

――パナソニック? どういうことでしょう?

当時のWWF中国には独立した海洋プログラムがなかったのですが、パナソニックがWWFジャパンに資金を提供して、「黄海エコリージョン保全プログラム」(のちの「黄海エコリージョン支援プロジェクト」)を立ち上げたのです。そして私の故郷の海である黄海が最初の優先地域に選ばれたので、私はその仕事に応募し、幸運にも採用されました。WWFのそのポジションに8年ほど在籍しました。オフィスは北京でしたが、渤海から150kmしか離れていませんし、沿岸地域や青島にも定期的に行き来できました。

WWFの後、2年近くポールソン研究所で働きました。当時、TNCの理事長だったヘンリー・ポールソン氏は、元ゴールドマン・サックス会長や元米国財務長官として知られていますが、ハンク(ポールソン氏の愛称)も彼の妻ウェンディも熱心な環境保全活動家なのです。彼のリーダーシップの下、私たちは中国の沿岸湿地保全政策を大幅に改善するという素晴らしい成果を上げました。沿岸湿地にダメージを与えていた大規模な違法・無規制の沿岸埋め立ての問題に取り組み、悪化の一途だった状況を好転させることに成功したのです。それは多くの沿岸コミュニティの生計と水産資源、さらには何百万羽もの海辺や海洋の鳥たちにも恩恵をもたらしました。

そして2015年、私は重要な決断をしました。北京を離れ、家族と一緒に青島に帰ることにしたのです。

青島に帰り環境NGOを立ち上げる

――なぜ故郷に帰ろうと思ったのですか。

理由の一つは息子のためです。私と妻は二人とも青島で生まれ育ちました。海は私の幸せの源泉です。海辺や湾、そして広大な黄海も東シナ海もどこかでつながっています。

子どもの頃はビーチコーミング(流木や貝殻・海藻など、浜辺に打ち上げられた漂着物から好きなものを探して収集すること)したり、魚やカニを観察したりする海辺が私の楽園でした。息子にも海辺を楽しんでほしいと思ったのです。そして、息子が祖父母と一緒に過ごせるように、私たちの両親の近くに住むことにしました。

青島の海辺で、幼かった息子ハン君と楽しむソンリンさん(写真提供:王松林)

帰ってきてわかったのは、青島には環境保全に関するNGOがないということでした。海産物のハブ、黄海沿いの経済ハブとして影響力のある都市であり、中国の海洋分野の研究の中心地であるにもかかわらず。

――だから、NGOが必要だと考えたのですね。

はい。幼なじみの友人たちや市民のグループと話し合ってみたら、彼らは「自分たちの環境保全NGOを設立しようじゃないか」と言いました。幸いなことに、市当局幹部や職員たちもそ必要性を理解してくれました。約8ヶ月の準備期間を経て、青島マリーン・コンサーベーション・ソサエティ(QMCS)の登録許可を得ました。

――中国でNGOを設立するのは難しいのですか?

もう少し簡単になっていると思いますが、自分たち能力を当局に証明する必要があり、また、同じ地域に同様のNGOがないことが一種のガイドラインでした。中国北部では、QMCSが、漁業・養殖と海洋生物多様性の関連性に焦点を当てた最初のNGOです。中国南部には同様のNGOがあります。

青島に帰った後の3年間、オーシャン・アウトカムズ(O2)の仕事をしました。O2は漁業の持続可能性のために専門的なソリューションを提供する非営利組織です。私はO2の中国プログラムを構築しました。2018年以降、O2は中国・日本・韓国のプログラムをやめてしまいましたが、私は今でもO2とのパートナーシップを維持しています。QMCSを立ち上げる際にO2が支援してくれたことには本当に感謝しています。

アカワタリガニの漁業改善プロジェクトとタツノオトシゴ

――これまでQMCSではどんなことに取り組んだのですか?

最初の活動は、O2と連携して漁業改善プロジェクト(FIP)を進めることでした。最も長期の成果は、中国南部の福建省でのアカワタリガニのFIP を続けてきたことです。

全米漁業協会(National Fisheries Institute; NFI)カニ評議会とパッカード財団からの資金提供を受け、O2とQMCSは、NFIと中国水産物加工販売連盟(CAPPMA)、そして地元の水産加工業者と漁業コミュニティをグループとして連携させることができました。漁業の持続可能性のほかに、今では漁業の社会的公平性の問題にも取り組んでいます。

FIPの一環として多様なステークホルダーを集めてセミナーを開催(写真提供:王松林)

底引き網とカゴ漁の組み合わせで、現地の漁業はアカワタリガニなど複数の種を対象しています。アカワタリガニ日本のガザミより小さな近縁種です。以前は価値の低い魚種でしたが、大西洋アオガニの代替品としてアメリカ市場で求められるようになり、中流から低所得層の消費者にとっても手頃な価格で人気のあるシーフードです。

福建省には豊富なカニ資源があります。加工業者は底引き網漁船やカゴ漁の漁師からカニを購入し、地元の女性たちを雇って、殻をむき、身を取り出し、缶詰にします。カニの加工は、サプライチェーンが長いため、中国何千もの雇用を提供してきました。しかし、加工産業の急成長により、漁業者はカニを過剰に漁獲するようになりました。本来カニは漁獲圧に対して比較的強い回復力を持つ生物種ですが、資源量が下降傾向を示しより若いカニや小さいサイズのカニが増えてきたため、NFI解決策を求めて参入してきたのです。

缶詰加工されるアカワタリガニ(写真提供:房璐)

2018年から今まで、7年近いプロジェクトを通して、QMCSではカニの生活史や生息地のニーズについての研究を行い、科学的根拠に基づいて、政策立案者に漁業管理の改善のための提言を行ってきました。これは好意的に受け入れられました。実際の管理体制を変えるためには、まだ長い道のりがありますが、その基盤を構築しつつあります。また、絶滅危惧種であるタツノオトシゴの生息地を発見することもできました。

―― タツノオトシゴですか?

タツノオトシゴは法律で保護されているので、本来タツノオトシゴの捕獲は許されません。しかし、底引き網漁を行うと、すべての生き物を一網打尽に漁獲してしまうのです。

厦門大学からの研究パートナーと連携してQMSCが行った現地調査により、漁場に、以前は全く知られていなかった大規模なタツノオトシゴの生息地があることがわかりました。折良く質蘭基金会から3年にわたる支援が得られたことに感謝しています。次のステップとして、これらの地域をOECM*に指定するよう、政府に対して提言する予定です。それはタツノオトシゴの保護と同時に、カニの個体数回復にも役立つと私たちは考えています。

*OECMとは、Other Effective area based Conservation Measures(その他の効果的な地域をベースとする手段)の頭文字。2010年、名古屋で開かれた生物多様性条約締約国会議(COP10)で、愛知目標11を作り上げる時に生まれた言葉で、保護地域ではないが、効果的な保全が行われている場のことを意味する。

問題を引き起こした人が問題を解決する

―― QMCSの研究成果が届いたら、漁業者は以前の習慣を変えるのでしょうか?

アカワタリガニに関しては、まだ、漁業者や政策立案者に変化を促す取り組みの途上です。しかし、私たちが誇りに思っているもう一つのプロジェクトとして、渤海の漁業コミュニティ改善の事例があります。

QMCSは、渤海で40年以上の経験を持つ劉翠波(リュウ・ツゥイボさんという60代の漁師と連携しています。劉さんはベテランの漁師であるだけでなく、漁業コミュニティの生活、伝統、文化を専門とするライターでもあります。渤海の自然史、渤海の漁師の生活、漁師が過去と現在でどのような漁具を使用してきたのか、そして環境への影響などについて多くの記事を執筆しています。

記事の中で劉さんは、自分もその一人であるシニア世代の漁師たちが、かつて地元のカキ礁を破壊してしまったことを告白しています。彼自身には直接の責任はありませんが、仲間の漁師たちは、破壊的な漁具で野生のカキを乱獲し、大事なカキ礁が失われてしまいました。研究熱心な劉さんは、科学と彼自身の知見を組み合わせることで、カキ礁と海草の生息地が魚類や無脊椎動物にとって重要な環境だということを次第に理解し、それを取り戻したいと思うようになったのです。

そこで、私たちは劉さんと協力して、カキ礁と海草の生息地を保全・回復する取り組みを行っています。現在、QMCSでは漁業コミュニティのリーダーシップで、かつて漁師たちが破壊してしまった生息地を回復するプロジェクトを進めています。彼ら自身が最良の解決策を持っていると私たちは信じています。生息地がどこにあったのか漁業慣行による主な脅威が何であるか、漁師たちは熟知していますから。そして、他の漁師たちを説得することもできます。

漁師でライターの劉翠波さん(左から2人目)と、カキ礁の回復のために水産加工で出る
貝殻の利用について話し合うソンリンさん(右)と同僚の李玉强さん(写真提供:劉楽彬)

―― 漁師たち自身を巻き込むということですね。

はい、「解铃还需系铃人」という中国の諺にもあるように、「問題を引き起こした人が、問題を解決するのに最も適した人だということです。

 

後編では、サステナブルシーフードの主流化のためには何が必要なのか、王松林さんのビジョンを語っていただくとともに、困難な時期にあっても楽観的でいるというソンリンさんの思考スタイルを共有していただきます。

 

取材・執筆:井内千穂
中小企業金融公庫(現・日本政策金融公庫)、英字新聞社ジャパンタイムズ勤務を経て、2016年よりフリーランス。2024年、法政大学大学院公共政策研究科サステイナビリティ学修士課程修了。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。主に文化と技術に関する記事を英語と日本語で執筆。

 

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