自然関連財務情報開示タスクフォース(以下、TNFD)は、公共、民間、市民社会全体で必要とされる多くのイニシアティブのひとつです。TNFD は企業や金融機関の考え方や行動の転換を促進するために設立されたもので、企業やポートフォリオのリスク管理、企業報告の主流化を目的としています。TNFD は開示提言の開発を通じて、世界の金融や資本の流れを自然にとってマイナスの状態からプラスの状態へとシフトさせる(ネイチャーポジティブ)ようサポートすることを究極の使命と考えています。
TNFDは、過去10年にわたる気候関連報告に関する市場の経験や、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の作業を踏まえ、企業が明確で比較可能な一貫性のある情報を投資家やその他の資金提供者に対して、開示?するよう促進することを目的としています。また、14項目の情報開示を提言し(図表1)、企業が自然関連評価と情報開示に着手する際に役立つ測定指標一式と一連のガイダンスを提供しています。
2018年以降、世界の自然の喪失に関して、特に欧州の金融機関、企業、政府などを中心とする危機感の表明と運動の急速な隆盛があり、2020年7月にTNFD設立を呼び掛けるイニシアティブが発表されました。設立パートナーであるGlobal Canopy、UNDP(国連開発計画)、UNEP FI(国連環境計画・金融イニシアティブ)、WWF(世界自然保護基金)の支援により、2020年9月から2021年6月まで準備のための非公式ワーキンググループが開催されました。そして、2021年6月、TNFDは金融機関、企業、政府、市民社会から広く支持され、正式に発足しました。G7とG20 もTNFDの設立を支持しました。
TNFDタスクフォースは、エリザベス・マルマ・ムレマとデビッド・クレイグの2名の共同議長のもと、金融機関、企業、証券取引所、監査法人、格付会社などの市場サービスプロバイダーの上級管理職40名で構成されています。日本からは、農林中央金庫の秀島弘高氏と弊職が選定されています。2021年10月にタスクフォースは実質的な活動を開始し、2年の開発期間を経て、2023年9月18日に世界の金融の中心であるニューヨーク証券取引所で開示提言正式版を公表しました。
TNFDは、各種の組織がいままで開発してきた、自然とビジネスと金融の関係を見える化するための枠組み、モデル、指標などの多様な成果を取り入れた、世界で通用する「共通言語」です。大企業と国際金融資本だけの対話の道具にとどまらず、関連するあらゆるステークホルダー、すなわち、一次生産者、地域企業、地域住民、自然保護団体、学術機関、自治体などとの対話に使うことができます。日本では、TNFDとの連携を意識したネイチャーポジティブ経済戦略の議論が、関連省庁ですでに始まっています。
TNFD開示提言の構造は、TCFDの構造を生かして、ガバナンス、戦略、リスクとインパクトの管理(TCFDではリスク管理)、測定指標とターゲットの4本柱を踏襲しています。そして、TCFDの11の開示提言を生かしながら、自然に関して必要な事項を追加し14の開示提言としています。とくに、戦略D(下図参照)の「優先地域」の開示は、TNFDのロケーションアプローチの考え方を示しており、事業が関連している自然が重要な生態系であるなどの注意を要する地域、または、事業が自然に重大な依存、インパクト、リスク、機会がある地域で行われているかを探索し、その場所を優先地域としてリスク評価の対象とすることを求めています。この点が、温室効果ガス(GHG)を排出した場所とそれが気候の変化を通じてインパクトを受ける場所が一致しない気候関連課題と根本的に異なる点です。自然関連課題への取り組みは、世界の多様な生態系について理解しながら、それぞれの地域で進めていく必要があり、気候関連課題への対応とは異なる発想が不可欠です。
組織には自然に対する「依存」と「インパクト」があります。これらにより自然関連の「リスク」と「機会」が生じます。これら4つの概念を総称して、TNFD は自然関連課題と呼んでいます。組織にとってのリスクと機会を評価するためには、自然に対する依存とインパクトを診断することが不可欠です。
事業活動は、組織にとって経済的効果をもたらす生態系サービスに依存しています。組織はまた、生態系や生態系サービスの提供にインパクトも与えています。これらのインパクトはプラスにもマイナスにもなりえます。マイナスのインパクトは組織も依存する生態系サービスの利用可能性を損なうため、依存とインパクトは相互に影響し合い、時間の経過とともに複合化していきます。
図表2のインパクト経路は、特定の事業活動の結果として、特定のインパクト要因が自然資本(環境資産のストック)と生態系サービスのフローにどのような変化をもたらしうるか、また、これらの変化がさまざまなステークホルダーにどのような影響を及ぼすかを示しています。
インパクト要因は、生産に投入される自然資源の測定可能な量または自然に影響を与える事業活動からの製品以外の測定可能な産物の量です。インパクト要因は5つの自然の変化の要因に分類されます(図表3)。インパクトはプラスにもマイナスにもなりえます。単一のインパクト要因が複数の影響(自然の状態に対して加えられる変化)と関連する場合があります。例えば、温室効果ガスの排出は複数の生態系に影響を与えます。
弊職は、水産業界については、消費者として関心を持っている程度の知見しかありません。東京サステナブルシーフード・サミット2023に参加させていただいて感じたのは、水産業界を、TNFDフレームでのぞいてみたときに、データに基づいて解像度高く消費者も理解できるような情報を提供できていないということです。したがって、サステナブル・シーフード推進に賛同しない関係者が、自分たちが与えているネガティブインパクトは見ないようにして、変化の外部要因(温暖化による海水温の変化、第三国の漁船による違法操業、等)を理由にして、変革を拒否するという事態を許してしまっていると思います。
TNFDを採用して、見える化を始めましょう。TNFDは、自然関連データを整備する重要性について認識し、リモートセンシング、環境DNA、AIなどの活用や進化も応援しています。最初は視野も狭く、解像度もぼやけているかもしれませんが、繰り返しているうちに、リスクが明確に見えるようになり、水産業界をネイチャーポジティブに変革していくメリットが多くのステークホルダーに理解できるようになると思います。
原口 真
MS&ADインシュアランスグループホールディングスサステナビリティ推進部TNFD専任SVP/MS&ADインターリスク総研基礎研究部基礎研グループフェロー。東京サステナブルシーフード・サミット2023にも登壇。
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