海洋生物学を志しながら「海と人間のかかわり」に興味を持ち、水産企業とともにサステナブル・シーフードに取り組むフィッシュワイズで活動してきたエリン・テイラーさん。前編では、水産サプライチェーンの中で人権や労働者の権利を守る、人権デューディリジェンスについて、その背景と難しさについて語っていただきました。(前編を読む)
後編ではさらに具体的な活動について、また現在注力している、水産関連の人権ディーディリジェンスに取り組む企業のための手引きとして作成された「RISE(Roadmap for Improving Seafood Ethics)」について紹介いただき、日本企業への期待をお聞きします。
――今日はエクアドルからインタビューにお答えいただいていますが、エクアドルで何をされているのですか?
私が今滞在している、エクアドルのマンタという漁港は、世界有数のマグロの加工基地です。ここでFAOのBlue Ports Initiativeと連携して、ラテンアメリカの行政、企業、漁業団体、市民団体などが参加するワークショップを開催しています。
今回のワークショップでは、SALT(Seafood Alliance for Legality and Traceability)プロジェクトとして、漁港でのトレーサビリティに光を当てようとしています。漁港は水産物流通のハブで、サプライチェーンの重要な位置にあります。トレーサビリティを有効活用することは、サプライチェーン上のステークホルダーの経済面、環境面、社会面でのベネフィットにつながります。互いに意識しづらかったステークホルダーを、港という場を利用して互いにつなげることで、トレーサビリティの活用をめざしています。
――SALTでは本当に世界中でトレーサビリティに取り組まれているのですね。
SALT自体は6年間のプロジェクトですが、フィッシュワイズがつちかってきたネットワークを活かし、さまざまな生産国とローカルプロジェクトに取り組んできました。特にタンザニア、ベトナム、南米では現地パートナーと「トレーサビリティ原則」の導入に取り組みました。またSALTは、トレーサビリティの有識者をつなぐグローバルコミュニティでもあります。このプロジェクトを通して私たちは、80カ国以上から約2000人もの有識者をつなぐコミュニティを形成しました。
──国による、あるいは文化圏による違いはありますか?
個別のケースを掘り下げていけば、常に何かしら固有の特徴はありますが、SALTの活動を続けてきて感じるのは、目立って大きな違いはない、ということです。労働者のデータが適切に把握できないとか、労働条件が不透明だとか、地域全体の基準やシステムがないとか、漁業者にとっての利点が不明確だとか……これらは文化や国境を越えた共通の課題です。
こうした、地域を越えたトレーサビリティ導入における課題を集約し、これらの課題に対する手引きとガイドラインとして定めたのが「トレーサビリティ原則」です。原則は全部で6つありますが、「いかに信頼できるデータを得るか」「得られたデータをいかに共有し役立てるか」そして「始まった動きをいかにスケールするか」、などが含まれます。幅広いケースにあてはまる一般性と、企業や行政の当事者が行動につなげられる具体性・現実性のあるガイダンスをめざし、世界中からさまざまな形でトレーサビリティに関わる有識者35名で委員会を形成し、トレーサビリティ原則を作りました。私たちはこの原則の中で「総合的」なアプローチを重要視しています。総合的とは環境・社会・経済の各視点を包括していることを意味します。
企業の社会的責任の中でも人権と労働問題は喫緊の課題ですが、フィッシュワイズでは取り組みを後押しする「手引き」として「RISE」、Roadmap for Improving Seafood Ethics(水産物の倫理向上ロードマップ)をつくりました。自分たちの現状を自己採点して、改善できる部分を見つけたり、人権問題に取り組む戦略の策定にも使えるものです。
オンラインで閲覧できるケーススタディや、eラーニングのコース、調達方針の内部検討に使えるワークシートなど、実用的なツールも用意しています。そして、どこから手をつけてよいかわからなければ、いくつかの質問に答える自己診断から、自分たちの事業に合ったコンテンツへ誘導してくれます。
――たしかに、これだけ大きな問題だと、どこから手をつけてよいかわからなくなりそうです。水産業界に関わる誰もが、小さく着手できるきっかけづくりのようなものはありますか?
水産分野において、社会的責任に関わる活動は多岐に渡ります。企業としてできる最も簡単なことのひとつは、サプライヤーとの対話を始めることでしょう。多くの企業は人権問題を、自分たちと関係のない遠くの出来事だと思ってしまいます。自分たちにできることは何もない、と。
でも、どんな立場の人でも「質問する」ことはできます。「長いつきあいで信頼しているから聞くまでもない」というせりふもよく聞きます。でも、それなら質問をためらうことはないでしょう。仕入れ先についてもっと知りたい、と口に出すことです。相手が答えられなかったとしても、そのこと自体は悪くはありません。一緒に答えを探せばいいのです。
そうした対話に使えるツールや資料もあります。私たちの公開している自己診断票を、取引先と共有してもいい。とにかく何が起きているのか、いないのか、知ることが第一歩です。
この分野の取り組みで、懲罰的なアプローチが前面に出るのは建設的ではありません。不備を責めることは目的ではない。またサプライヤーに問題があるとわかっても、単に取引をやめるだけでは何もよくなりません。共同作業で、時間をかけて改善をめざすべきです。買い手は多くの場合、売り手の慣行を変える力を持っています。その力を行使してほしい。
――日本の水産業者に対して、特に期待されることはありますか?
日本のような巨大市場を抱える国で、水産業者たちが立ち上がってくれることには大きな意味があります。水産物に関わる企業が、自分たちにも責任があり、果たすべき役割があると気づき、認めることが第一歩です。最初は取り組みを宣言して、次に実質的なステップへと、一歩ずつ進めていけばよいのです。すぐに成果が出なくても、改善のプロセスが進むことが大事です。
……それからぜひ、自社だけでなく、業界としてのイニシアティブに積極的に参加してほしい。この課題は枠組みから取り組む必要があり、ひとつの企業、ひとつのサプライチェーンだけでは解決できません。コラボレーションが力を発揮するのです。
――最初の一歩を踏み出すのが難しいことも多そうです。水産物に関わる企業が、みずから人権デューディリジェンスに取り組もうと思える、きっかけや動機としてはどんなことが考えられますか?
私が最近興味を持っている行動心理学の「フォッグ行動モデル」では、人が行動を起こすには「動機・能力・きっかけ」の3つが必要と言われています。このうち人が内面に持っている「動機」は、簡単には左右できません。そこで、すでに動機を持っている人が行動を起こせるよう、残りの2つに働きかけることを考えます。
実際、さまざまな企業との取り組みの中で、サプライヤーや同業者との会話や、ニュースや記事など、何らかの情報に触れたことが「きっかけ」となって行動を起こす例を、私もたくさん見てきました。しかし「きっかけ」があっても、自分には状況を変える「能力」がない、と多くの人が考えてしまうのはお話ししたとおりです。
しかしどんな立場の人にも、何かしらできることはあります。そして小さいことが重なって、大きな変化になるのです。バイヤーなら仕入先を選ぶときに人権や労働者の権利のことを考慮に入れてもよいし(RISEがお役に立てます)、管理職ならセミナーを聞いたり、労働関連の情報を調べて、より意味のある形で働く人々と連携する方法を探ってもよいでしょう。マーケティングや広報の仕事なら、内部のチームに人権問題への取り組みについて聞き、活動をつなぐこともできます。
遅かれ早かれ、法規制が求められるのも事実です。ボストンとバルセロナのシーフードエキスポの違いにも見られたように、規制があれば企業の動きは加速します。また自主的な動きだけでは、長期的には価格競争に足を引っぱられてしまいます。規制があることで、みんなが公平な立場で参加できます。
規制は国の産業にとって力にもなります。人権や労働問題について明確な法的規制を持つ国は、厳しい条件を課す相手への輸出で有利に立てます。自主規制に頼る国は、相手からすればハイリスクな取引相手と見られるかもしれません。
ただ私は個人的には、白黒を二分できるものとは考えていません。ひとつのモデルがすべてにあてはまるわけではないし、どんなにいいことでも100%の参加はありえない。でも、完璧な解決策がないからと言って、それは何もしないでいることの言い訳にはなりません。緊急性をもって行動し、次に自分のできることを常に問い続け、実行し続けることです。そうすることで、水産物業界における人権侵害、労働者の権利侵害がなくなり、またすべての人がまっとうな仕事のできる世界へ向けて、前進を後押しすることができるのです。
Erin Taylor (エリン・テイラー)
FishWise ビジネス・エンゲージメントおよびSALT(Seafood Alliance for Legality and Traceability)シニア・プロジェクト・ディレクター。FishWiseの各部門を横断して活動し、企業パートナー、行政、外部協力者との協働体制を構築、運営。小売、卸、飲食、接客業などの企業、および業界団体に関わり、サステナビリティの目標達成やサプライチェーンの改善に向けたパートナーシップを主導。過去数年間はビジネスにおける社会的責任に取り組み、企業が人権や労働者の権利を課題として取り入れる動きを後押し。最近FishWiseのSALTチームに参加、ラテンアメリカ・カリブ海地域の政府、産業界、NGOとの活動を主導する。FishWise以前はニューイングランド水族館で天然魚のスペシャリストとして、トレーサビリティ、政策、認証、漁業改善、環境リスクなど、水産物に関するさまざまな問題について大企業に助言を行ってきた。ボストン大学卒、環境分析・政策の学士号を取得。
取材・執筆:井原 恵子
総合デザイン事務所等にて、2002年までデザインリサーチおよびコンセプトスタディを担当。2008年よりinfield designにてデザインリサーチにたずさわり、またフリーランスでデザイン関連の記事執筆、翻訳を手がける。