高まる人権デューデリジェンスの重要性。水産企業はバリューチェーン全体で人権への影響評価を行うべき(前編)

高まる人権デューデリジェンスの重要性。水産企業はバリューチェーン全体で人権への影響評価を行うべき(前編)

水産業のサプライチェーンでは、奴隷労働、過酷な労働環境を筆頭に数多くの人権問題が報告されています。水産業に関わる企業は労働者の権利を守るためにサプライチェーンの透明性を確保し、人権デューデリジェンスを行う必要に迫られています。

過去17年間にわたって、NHRIs、NGO、国連、民間企業、政府の研究機関などで人権とビジネスの専門家として活動されてきたトゥリカ・バンサル氏に、水産業においてどのように人権デューデリジェンスに取り組むべきかうかがいました。

 

Tulika Bansal(トゥリカ・バンサル)
人権とビジネス専門家。 さまざまな地域や国、業種において、20件近い人権影響評価(HRIA)および業種別影響評価(SWIA)を実施。 人権とビジネス、企業の人権デューデリジェンス、人権の影響評価、子どもの権利とビジネス、特に水産セクターにおける人権など、さまざまなテーマでトレーナーやゲスト講師を務める。 その他、ビジネスと人権に関する組織への戦略的アドバイスの提供やワークショップのファシリテーターも務める。 現在インドを拠点とし、ビジネスと人権、子どもの権利に関するインドおよびアジア太平洋地域での共同研究に従事。オランダ・ライデン大学国際法学修士課程修了。

 

インドで目にした貧困と人権問題

——これまでのキャリアについて教えていただけますか?

私はオランダのライデン大学で国際法を専攻し、2008年に卒業しました。大学在学中には複数のインターンシップに参加し、その時の経験からビジネスと人権に興味を持つようになりました。

卒業後は数年間、石油、ガス、衣料品分野の多国籍企業が人権に与える悪影響に関する調査とアドボカシー(擁護、支持)活動を行う運動家及び研究者として働きました。2011年に私はデンマーク人権研究所に入り、企業や政府、その他の人権機関、開発金融機関などとも仕事をするようになりました。そして最近では、インドを拠点に、ビジネスと人権の分野の専門家としてフリーランスで働き始めました。

——どんなキッカケや経緯があって、ビジネスと人権に関する活動に取り組まれるようになったのですか?

幼少の頃、インドを訪れたり旅行したりするうちに、路上で暮らす子どもたちや、その他の深刻な人権問題を目の当たりにしました。こうした経験から、私は貧困と人権が交わる課題に取り組みたいと思うようになったのです。そこで私は、国際法と人権問題について学ぶために大学で法学を専攻することを決めました。

私がビジネスと人権の活動により強い関心を持つようになったのは、2006年のインドのNGO団体Cividepでのインターンでの経験からです。インドのバンガロールにあるCividepは、インドの衣料品、電子、皮革その他の産業において、労働者の権利と企業責任の分野で活動するNGOです。

私がそこでインターンとしてリサーチ業務に従事した間に、多国籍企業の労働者が権利を勝ち得るという変化を見ることができました。また、多国籍アパレルブランドに対するOECDの申し立てに取り組む機会もありました。インドでのこの目を見張るような経験が、私がビジネスと人権のフィールドで働き続ける理由となりました。

 

人権問題の改善には時間がかかる

——これまでビジネスと人権、アジア・アフリカにおける子どもの権利とビジネス原則、拘留されている若者への教育など、様々な人権問題に取り組んでこられたと思います。世界で最も深刻な人権問題は何だと思いますか?

難しい質問ですね。なぜならすべての人権問題は等しく深刻なものだからです。ただし、私自身の個人的な経験から学び、インスピレーションを得た例を2つ挙げることができます。

1つ目は、2007年から2008年にかけてマダガスカルの刑務所に拘留されていた若者たちと働いた経験です。私が所属していたオランダのライデンの学生団体(当時の名称はSIFEライデン)と、マダガスカル現地パートナーと協力して、若者が出所した後に、彼らがきちんと雇用機会を得て、再犯の機会を減らすライフスキルを得るために研修するプロジェクトを実施しました。

 

オランダのライデン大学の学生とともに、マダガスカルの少年刑務所の入所者に行ったプロジェクト「ジェイルハウス・ロック」

 

たとえば、お金の扱い方や節約方法などの金融リテラシー教育、公共の場での振る舞いやエチケットなど簡単な研修を実施しました。これらは非常に簡単なライフスキルです。しかし、未成年で刑務所に入っている彼らにとっては、知らないことばかりなのです。一旦刑務所に入ると、本来学校や日常生活において学べるライフスキルを、学ぶことができなくなります。

私たちはこれらの若者たちが刑務所から出所した後、再犯を防ぎ、よりしっかりと未来を築けるよう研修を提供しました。この活動を通して、たとえ小さなスキルであっても、危険にさらされている若者にとって大きな助けになる可能性があることを学びました。この経験は本当に目を見張るようなもので、危険にさらされている若者や、関係当局、NGO、その他のステークホルダーが関わる複雑なプロジェクトのマネジメントの仕方など、多くを学びました。

私のキャリアの中でもう一つ重要だったものは、企業活動から影響を受けている労働者や地域社会と関わってきた経験です。デンマークの国立人権機関であるデンマーク人権研究所で働いている間、私は多くの労働者と話す機会を持ちました。特に私は、労働者と、影響を受ける地域社会から、人権アセスメントを実施する際にどのような困難に直面しているかを直接聞きました。そして人権アセスメントの後、私は彼らの声を企業の経営層、国連レベル、その他の意思決定者に届けるよう努力しました。影響を受けた人々と直接関わったこの経験は私にとって重要なことでした。

 

水産業には多くの人権問題が存在する

——漁業と養殖業界における課題はなんでしょうか?

私は漁業と養殖業界のさまざまな領域で働いてきましたが、数多くの人権問題に直面しました。たとえば、チリのサーモン産業において、労働者の権利に関連したいくつかの人権問題に取り組みました。そこではジェンダーと女性の権利、シフト勤務や夜間勤務などの勤務時間による問題、仕事と家庭生活の両立の問題などが含まれます。

その他にもサーモンの生け簀を維持・清掃するダイバーの健康と安全に関する問題もありました。ダイバーは過酷な環境で作業するため、かなりの数の事故が発生していて、中には死亡事故に至るケースもあります。

 

チリのサーモン養殖場の様子。(写真:Adobe Stock)

 

また先住民族への影響も、私の過去の仕事で見つかった深刻な問題の一つでした。サーモン産業が営まれているエリアは、先住民が住むエリアと重なっていることがよくあります。サーモン養殖場の存在は、彼らの伝統的な慣習、文化的慣習などを含む人権に大きな影響を与えます。

他にも小規模な漁師に影響を与える汚染の問題もありました。最近では、サーモン産業に反対する人々に対する嫌がせの事例もあります。

ホンジュラスのロブスター産業にも課題がありました。過酷な環境下でロブスターを獲るために潜っていた先住民族のダイバーが、負傷したり死亡する事故が起きていたのです。ダイバーはロブスターを獲れば獲るほど、より多くの収入を得ることができるので必要以上に深く潜りがちなのです。

 


カリブ海料理で大人気のロブスターだが、多数のダイバーが減圧症に苦しんでいる。(写真:Adobe Stock)

 

しかし、ミスキート族のダイバーが住んでいるこれらの地域は、適切な医療を受けることができる地域ではありません。ロブスターを獲るために深く潜りすぎたダイバーたちは、病気になっていました。高気圧酸素治療を受けることができず、麻痺が残り、最悪の場合は死ぬケースも出ています。これらは私が水産業において実際に見てきた人権問題の実例です。

——水産業で、特にマグロ漁船では身体的、精神的な暴力さえある環境下で、無給で長期間労働を強いられている強制労働が問題となっています。日本では国内大手水産会社を中心に人権デューデリジェンスへの取り組みを始めていますが、トゥリカさんご自身の経験から、具体的に取り組むべきと考える課題はありますか?

日本の大手水産会社はバイヤーであり、生産者でもあります。そのためその両方の側面から見る必要があるでしょう。まずバイヤーとしては調達先やサプライチェーンポリシーを見て人権に関する問題をサプライチェーンポリシーにも含めるべきでしょう。これは日本の水産会社にとって人権への影響を理解する上で非常に重要なことだと思います。

人権デューデリジェンスの一環として、企業は人権への影響を特定・評価し、対処する必要があります。しかし、自社の企業活動が与えている影響を理解していなければ、対処することもできません。ですから、日本の水産会社はまず自社の企業活動の影響を特定し、評価すべきです。そのための良い方法は、日本の水産会社が事業を行なっているリスクの高い国々の人権アセスメントや現地での詳細な調査を行うことです。

日本の水産会社はチリだけでなく、労働者の権利や人権状況が良くない国々から水産物を輸入しています。日本の水産会社は、人権デューデリジェンスを実施し、人権リスクと影響への理解を可能にする独立した組織と協力する必要があります。

 

 

>>>後編では、水産業の労働者の人権について、中小企業が取り組むべきこと、水産バリューチェーン全体で取り組むべきことなどについて、考えを伺います。

 

 

取材・執筆:森本 進也
ライター、翻訳。テクノロジーに関する国際的なシンポジウムを多数取材。現代ビジネスをはじめとするビジネスメディアにて記事執筆。

編集:嶺 竜一
Forbes JAPAN、現代ビジネス、週刊ダイヤモンド等で取材執筆・編集を務める。漁業問題、海洋汚染問題についても取材。