
2023年12月4日、株式会社ニッスイは他の水産企業に先駆けてTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)レポート「ニッスイグループTNFDレポート2023」を発行しました。TNFDの最終提言v1.0(以下、最終提言)が公開されたのは同年9月18日のこと。わずか2ヶ月半後に初のTNFDレポートを発行できた理由は何だったのでしょうか。サステナビリティ推進部部長でTNFDレポートを担当した西昭彦さんに、制作の舞台裏を聞きました。
西 昭彦(にしあきひこ)
1993年日本水産株式会社(現・株式会社ニッスイ)入社。入社以来、主に食品部門で冷凍食品事業に従事。2020年CSR部(現サステナビリティ推進部)に異動、自社のミッション策定やリブランディングなどに携わる。2023年「ニッスイグループTNFDレポート2023」を発行。現在TNFDの他、人権関係を担当しながら、ニッスイのサステナビリティ全般を統括している。
―先ずは、ニッスイに入社されてからTNFDに取り組むことになるまでの経緯をお聞かせください。
もともと水産学部の出身でもなく、入社後も食品部門で長く冷凍食品事業に携わっていて、水産との関わりは限定的でした。
冷凍食品とサステナビリティは一見畑違いのようですが、食品部門で商品企画を担当していた頃から、プラスチック使用の削減など、環境面に配慮した商品設計に力を注いでいました。また、自身がリブランディングを企画した商品が、2012年のパリ国際食品見本市に日本代表としてノミネートされ、調理の省エネルギー性で世界から高い評価を受けました。見本市のための海外出張でしたが、ヨーロッパの市場ではすでに健康とサステナビリティに軸足が置かれていて衝撃を受けました。そして日本も近いうちにそういう時代が来るだろうと確信しました。ですから、今思えばその頃の仕事でもサステナビリティの走りのようなことをしていましたね。
現在のサステナビリティ推進部(当時の名称はCSR部)に異動したのは2020年の春です。その2年後、2022年春に当社はミッションをあらためて定義したうえで「2030 年のありたい姿」を長期ビジョンとして明確にし、中期経営計画を発表しました。その長期ビジョンや中期経営計画の中心にサステナビリティが置かれました。
TNFDに取り組むきっかけとなったのは、日経ESGにあった藤田香さんの生物多様性に関する記事*1です。2021年春のことでした。最後の一文に、企業の環境の取り組みを評価する国際NPO、CDP*2が今後、質問のテーマの対象を海洋にも拡大する可能性が示唆されていて、水産企業として「これは逃げられない」と悟ったと同時に、どうせやるなら先にやった方が良いと思いました。
その後、必死に勉強し、少しずつ開示の準備を進めていたのですが、前列もない中で開示するには、TNFD提言との整合性の面で大きな不安がありました。そんな折、背中を押してくれたのが2023年10月のTSSS(東京サステナブルシーフード・サミット、現サステナブルシーフード・サミット)の2日目のプログラム*3です。農林中央金庫の秀島様の基調講演で始まり、午後には水産ブルーファイナンスをテーマにしたセッションが2つ続きました。登壇された複数の方々からの「わからないから取り組まないのではなく、まずはできることから一歩を踏み出すことが大事」とのコメントを聞いて、TNFDレポートの開示に踏み切ることを決意しました。
―TNFDの最終提言が公開されてから、わずか2か月半でTNFDレポートを発行されています。
当社では2016年にサステナビリティ委員会(当時はCSR委員会)を設置し、傘下の水産資源持続部会・海洋環境部会・サステナブル調達部会等において海洋保全や水産資源の持続可能性に関わる活動に取り組んできました。また、マテリアリティ(重要課題)の1つとして「海洋の生物多様性の主流化」を設定し、持続可能な資源アクセスの強化やMSCなどの認証取得に取り組んできました。ですから、TNFDを契機に新たな調査を行ったのではなく、当社ですでに把握していた情報をTNFDの枠組みに当てはめて再構成したと言っていいでしょう。
とは言え、2か月半後にレポートを発行することは容易なことではありませんでした。実は英語版もその翌月の2024年1月に発行しています。部内のメンバーがスピード感を持って取り組んでくれたことが大きな助けになりましたし、本当に感謝しています。
レポートの制作にあたっては、TNFDの最終提言発表前からドラフトを読みこんで考え方を整理し、検討を重ねました。前例が無いため「正解」が分からず不安は残りましたが、今になってみると、先行事例に左右されずに制作できたのは良かったと思います。
―TNFDのレポートの中で注目すべきところはどこでしょう?
「リスクと機会」の評価部分です。まず、TNFDが提案するLEAP*4に取り組んで水産業(漁業・養殖)における自然への依存と影響を把握し、リスクと機会を評価しました。その上で、最終提言で推奨された項目を「ガバナンス」「戦略」「リスクと影響の管理」「指標と目標」の4つの柱に沿って開示しています。
中でも「リスクと機会」の評価は網羅的に整理できたと考えています。すでにTCFD*5で検討していた内容も加味しながら、漁業・養殖でのリスクと機会など、自社の事業内容を1から洗い出しました。ウェブサイトとTNFDレポートには全ての項目が載っているので、今後TNFDの開示を検討している水産業界の方の参考になると思います。
―TNFDレポートの制作を通してどんな発見がありましたか?
TNFDに取り組んでよかったことは、当社がどれだけ自然に依存しているかを認識できたことです。これまでは、むしろ自然に与える「影響」に意識が向いていました。例えば、養殖業での残餌や排泄物が海洋の水質を汚染することなどです。
「依存」とは、それがないと成り立たないという意味で、例えるなら、空気に依存している人間は空気がないと生きていけないのと一緒です。ニッスイは海がないと、海に魚がいないとビジネスが成り立ちません。どの企業も、自社のビジネスが自然に依存していることをきちんと認識できれば、自然がなくならないように努めると思います。
TNFDを通して、「私個人は何に依存してるんだろう?」と考えるようにもなりました。考えるときりがないのですが、よい経験になりました。
「ニッスイグループTNFDレポート2023」の発行を担当した株式会社ニッスイ サステナビリティ推進部部長の西昭彦さん。
Part2では、パイオニアとしての苦労やステークホルダーからの反響、サステナビリティに向けた課題、今後の展望などについてなどについてお話しいただきます。
執筆:中川僚子
大学で市民向け環境学習講座の実践・研究補佐を務めた後、2023年よりフリーランス。地域がつながるさかなの協同販売所「サカナヤマルカマ」スタッフ。科学読物研究会会報編集部。理科教育、環境教育に関わりながら執筆活動を行う。
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