
太平洋の島嶼国フィジーに生まれ育ち、外交官としてのキャリアの中で、海洋の健康がそこなわれ続けている状況を見るに見かねて、海の保全に向けた動きを強く推進してきたトムソン氏。その経緯を語った前編に続き、海洋環境保全の実現へ向けた具体的な方策や計画とここ数年の動き、そして水産業界へのメッセージをうかがいました。(<前編を読む)
――2021年の東京サステナブルシーフード・サミットで大使は「健康な地球のためには健康な海が不可欠」というメッセージと、そこに向けて3つのアクションを呼びかけられました。IUU(違法、無規制、無報告)漁業の撲滅、有害な漁業補助金の禁止、海洋保護区の確立です。その後4年間の動きをどのようにご覧になりますか?
目標までの道のりはまだ半ばです。IUU漁業はいまだに世界中で、災害規模のスケールで続いています。ただ、国際連合食糧農業機関(FAO)のもとで「違法漁業防止寄港国措置協定(PSMA)」の合意*1が成立したので、その点では実質的な前進があったと言えます。
一方で、世界貿易機構(WTO)の閣僚会議で議論された「漁業補助金協定」*2は、まだ目標まで達していません。こちらは少し複雑で、大きく2つの部分からなります。まずひとつ目がIUU漁業、つまり違法漁業を後押しする補助金の禁止で、これは数年前に合意されました。しかし批准した国の数が規定に達しておらず、まだ実行力をともなっていません。ただ、目標数にかなり近いところまで来ているのは明るいニュースです。
批准に必要なのはWTO加盟国の3分の2、111ヵ国です。最新の情報によれば97ヵ国がすでに採択しているので、あと14ヵ国で合意を実行に移し、IUU漁業を支えている漁業支援を禁止することができます。6月の国連海洋会議*3までには達成できると期待しています。
そして、この「漁業補助金協定」のもうひとつの部分が、過剰漁業につながる、漁獲能力の高すぎる組織的な漁船団への補助金の禁止*4です。企業が大規模な漁船団で減り続ける魚を追いかけまわしているところへ補助金を出すなど、正気の沙汰ではない。このような支援は、断固として止める必要があります。
私が強調したいのは、このような漁業への支援を禁止することが、地元の小規模漁業者にとっても救いになるということです。現状では、沿岸漁業の小規模な漁師たちが獲るはずだった魚まで、大漁船団が獲り尽くしているからです。こうした過剰漁業を後押しする支援は、一刻も早く禁止しなくてはなりません。
――では3つ目の、海洋保護区についての取り組みはいかがですか?
ご存知のとおり「30by30」、つまり地球全体の最低30%を2030年までに保護するという目標に、国際社会は合意しています。*1 しかし海について言えば、具体的な計画なしでこれが実現できるはずがない。これは昨年コロンビア共和国のカリで開かれた、COP16(生物多様性条約第16回締約国会議)でも痛感したことです。
海面の30%を保護区とする「30by30」の目標から、現状は遠くへだたっています。そこで私はフレンズ・オブ・オーシャン・アクション(FOA、Friends of Ocean Action)の創設共同議長としてカリでのCOP16の席上で、この目標を推進する声明文を発表し、30by30へ向けて各国や組織を導く具体的な計画をとりまとめ、来たるニースの2025年国連海洋会議で公表し実行に移すと宣言しました。
これがなぜ重要なのか。2022年12月に採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組」*2 で世界トップクラスの科学者たちが明示しているように、2030年までに地球表面の30%を保護できなかったら、その先に続くのは、生物種が次々と絶滅していく雪崩現象です。地球上の生物多様性が着々と消え去っていく未来です。
人類にとってはもちろん、地球上のあらゆる生命のためにも、これは避けなければならないことです。それには2030年の時点で30%の保護区化が実現できていなくても、そこへ向けて動いていることが重要です。
――差し迫った状況であることがわかりました。海洋特使としてのお立場で見て、海に関して最も喫緊の課題は30by30ということになるでしょうか?
個人的には、他の何よりも急を要するのは地球温暖化の対策だと思っています。地球温暖化の結果、海水温はとんでもないスピードで上昇しつつあり、サンゴはどんどん死滅し、海面も上昇しています。温暖化のために、海の環境がすっかり変わりつつあるのです。
――海にかかわる問題はさまざまな要因が互いにつながり、複雑で巨大です。その中で、水産業に関して変化を起こそうとしているリーダー層の読者にはどのようにアドバイスされますか?
水産業に限らずあらゆる製造業者にお伝えしたいことは、他の何よりもサステナビリティ、レジリエンスを大事にして、未来へ向けた計画を立て、実行していくこと。そして科学的な計画と運営管理にもとづいて、判断し、行動することです。
これはもちろん漁業セクターにも言えることです。ここでは水産資源の科学的アセスメントがきわめて重要ですが、こうした考え方が世界の主要地域で根づき始めているのは喜ばしいことです。
3ヵ月前にはソロモン諸島政府、FAO(国連食糧農業機関)、FFA(太平洋諸島フォーラム漁業機関)*、その他の共催者のサポートで、ソロモン諸島の首都でホニアラ・サミットが開催されました。FFAをはじめとする地域管理組織の力によって、過去半世紀にわたって世界のマグロ資源の6割が、明確な科学的アセスメントにもとづいてサステナブルに管理されてきました。
水産業界に対しては特に「他の何よりもサステナビリティを上位に置く」ことを強く勧めたい。短期の利益よりも持続性の方が重要です。今日の利益を優先して10年後に魚がいなくなったのでは、意味がないと思いませんか。
もうひとつ、水産について考えておきたいのが養殖です。持続可能な養殖は、今後ますます成長領域として、水産業の未来を支えていくでしょう。天然魚の漁獲高はもう長らく頭打ちですが、養殖魚は急カーブを描いて成長しています。
そして養殖もまた、サステナブルであることを重視しなければなりません。環境をいためつけないような方法で行われること。現実問題として、環境破壊をさらに進めてしまうような産業に未来はありません。
もうひとつ水産業に関連して触れておきたいことがあります。獲った魚のすべてを無駄なく使い尽くすことにかけて日本人が卓越していることは、自分の経験からもよく知っていますが、昨年アイスランドを訪れた際に見た現地のタラ漁にも感銘を受けました。獲った魚のあらゆる部分が活用され、利用され尽くしていたのです。
身はもちろん、内蔵も皮も、何ひとつ捨てない。どの部位にも何かしらの用途を見つけ、食品、医薬品、衣料品から重い火傷の治療法までさまざまな形で役立て、頭から尾まですべてを活かす。これも忘れてはならない、大事なことです。海から得たものを、一片たりとも無駄にしないこと。これがすなわち、水産業の利益増大にもつながるのです。
――ありがとうございます。それでは最後の質問です。去年の東京サステナブルシーフード・サミットで私たちは「2030年までにサステナブルシーフードを主流にする」という目標を掲げました。主流化のために最も重要なことは何だと思われるか、ご意見をお聞かせください。
まずひとつは、今お話しした「養殖」ですね。適切な形で行われる養殖は、水産業の未来を支える、大きな屋台骨となる可能性を持っています。
それと、繰り返し強調しておきたいことですが、漁業資源の科学的な管理は不可欠です。過剰漁業には絶対にストップをかけなくてはならないし、それを後押しするようなしくみは禁止する必要があります。
そして、こうしたさまざまな要因を論理的に組み合わせる。海洋資源の持続性を守ることを、目先の競争や短期の利益よりも重視し、最優先課題とする。……これはSDGsの目標14を採択した際、全世界が合意したことでもあります。つまり海洋を保全し、持続可能な形でのみ、その資源を利用していくということです。
俯瞰した視点から私が強調したいのは、国際連合の加盟各国の間でも、今、実際に漁業が大きなトピックとして関心を集めていることです。
6月にニースで開催される国連海洋会議において、10の海洋に関するアクションパネルが予定されています。テーマは各加盟国によって選ばれましたが、10のうち2つが直接的に漁業に関わるものです。ひとつはサステナブルな漁業について、もうひとつは海洋起源の将来的な食糧確保についてのパネルです。*
10のパネルのうち2つまでが水産業を直接取り上げるというだけでも、各国の政府がどれだけこの産業分野を重視しているかわかるのではないでしょうか。そしてこの6月の会議を経て、より持続可能な水産業へ向けた、具体的かつより強力な方策が出てくると私は確信しています。
――そこからサステナブルシーフードの主流化へ向けた、ひとつの道が示されることになりそうですね。
まちがいなくそうなるでしょう。その現場となるニースでお会いして、いっしょに変化を起こしていくことを楽しみにしています。
ピーター・トムソン
2010年より2016年までフィジーの国連常駐代表を務め、任期中には国連開発計画(UNDP)、国連人口基金(UNFPA)、国連プロジェクトサービス機関(UNOPS)の各執行理事会で議長を務め。2016年より2017年まで国連総会議長。2013年にはG77プラス中国の議長国となったフィジーの外交団を指揮。2011年に国際海底機構(ISA)総会議長、2015年に同機構の理事会議長に選出。また、世界経済フォーラムのフレンズ・オブ・オーシャン・アクションの創設共同議長として、持続可能な海洋経済の構築に向けたパネルのサポートメンバーを務める。
取材・執筆:井原 恵子
総合デザイン事務所等にて、2002年までデザインリサーチおよびコンセプトスタディを担当。2008年よりinfield designにてデザインリサーチにたずさわり、またフリーランスでデザイン関連の記事執筆、翻訳を手がける。