日本の水産業の発展に必要な予算のあり方 〜WTO漁業補助金協定合意を契機とした水産予算の検証〜

日本の水産業の発展に必要な予算のあり方 〜WTO漁業補助金協定合意を契機とした水産予算の検証〜

WTO漁業補助金協定の背景と合意内容

2022年6月に開催された第12回WTO閣僚会議にて、これまで約20年間にわたって議論されてきたWTO漁業補助金協定が合意されました。

漁業補助金に関する議論が行われてきた背景として、「有害な漁業補助金」の考え方があります。過剰漁獲によって水産資源の減少をもたらす補助金は、持続可能な漁業にとって有害なものであり禁止すべき、との考え方です。

こうした考え方の下、国連の持続可能な開発目標(SDGs)でも、「2020年までに、過剰漁獲能力や過剰漁獲につながる漁業補助金を禁止し、違法・無報告・無規制(IUU)漁業につながる補助金を撤廃し、同様の新たな補助金の導入を抑制する。」(14.06)ことが定められています。

これまで漁業補助金の議論に長い時間がかかった理由には、具体的にどのような補助金が過剰漁獲をもたらすかについての合意が難しいことにあります。多くの研究者による研究も行われていますが、漁業の種類、漁業の状況、規制の有無や種類、補助金の要件などによって漁業補助金が水産資源に与える影響が異なるため、一般的な合意がえられる状況にはまだ至っていません。

こうした中で、今回WTOで合意された内容の要点は次の通りです。
・IUU(違法・無報告・無規制)漁業に対する補助金の禁止。(3条)
・乱獲状態にある資源に関連する漁業及び漁業関連活動に対する補助金の禁止 。ただし、資源管理等により資源回復を促す措置がある場合を除く。(4条)
・加盟国は漁業補助金の対象となる漁業の種類や漁獲量、資源状態、保存管理措置等をWTOに通報し、委員会において審査される。(8、9条)

一つ目のIUU漁業に対する補助金は、国際的なルールを無視して行われるIUU漁業が世界の水産資源に最も悪影響を与えるとの認識が広まる中で合意されたものです。日本周辺でも、近隣諸国のIUU操業による日本漁業への影響がこれまでも多くニュースになっており、今後、こうした違法操業が抑制されていくことが期待されます。

なお、IUU漁業はガバナンスの低い途上国において行われる場合が多いものの、日本国内の漁業者も無縁ではありません。昨年には大間のクロマグロが漁業法で定められた漁獲報告をせずに流通されていたことが発覚しました。国内においてもこうした資源管理の違反が行われないよう、新たに制定された水産物流通適正化法の対象魚種の拡大など、制度の改善が求められます。

二つ目の乱獲状態にある資源に関連する漁業に対する補助金の禁止は、乱獲状態にある資源を漁獲し続けて資源が枯渇することを防止するためのものです。なお、資源が乱獲状態にあるかどうかは、沿岸国(公海の場合には国際的に共同管理を行うための漁業管理機関)が判断することとされています。また、乱獲状態にある資源であっても、生物学的に持続可能なレベルまで資源を回復する措置がとられている場合には、補助金が認められます。

日本においても、資源状態が悪い魚種を対象とする漁業については、今後、資源管理が適切に行われていなければ、補助金の支払いはWTO協定違反と指摘される可能性があります。そうしたことがないようにTAC(漁獲量管理)を中心とする科学的根拠に基づく資源管理を軌道にのせていくことが求められます。

三つ目の漁業補助金の対象となる漁業の種類や管理措置等の通報は、漁業補助金の適正化を議論・検討する上では、現在、各国にてどのような形で補助金が支払われているかの実態が分かるようにする必要があるとの理由で、設けられた規定です。

なお、今回の合意においては、このようにIUU漁業や乱獲状態にある資源に関連する漁業への補助金は禁止となりましたが、過剰漁獲につながる補助金の規制のあり方と途上国が求めている特別待遇については、まだ合意が得られず、引き続き議論が継続されることとなりました。

また、今回合意された協定が各国で批准されて発効した後4年以内に完全版の協定又は何らかの決定がWTO総会でできない限り、協定は自動的に廃止になるとの条件がついていることは留意する必要があります。

 

WTO合意が日本の水産政策に与える影響

今回のWTOの合意が日本に与える影響ですが、改正漁業法に基づき資源管理が適切に行われるかぎり、現在の日本の水産予算の中で、今回の合意によって禁止される補助金に該当するものはないと考えられています。

しかしながら、過剰漁獲をもたらす漁業補助金の規制について今後も議論が続いていくことを鑑みれば、日本の水産予算や漁業補助金がどのように使われており、漁業の振興や水産資源の保全に対してどのような効果をもたらしているかについて検証をすることが必要と考えます。

 

日本の水産予算の概略

日本の水産予算の規模は、現在、当初予算と補正予算を合わせて3,201億円ですが、その内訳は次の通りです。

日本の水産予算(令和4年当初・令和3年補正の合計)

 

まず、最も大きいのが水産公共事業で全体の3割以上、漁業者の経営安定対策も3割以上を占めます。次に、沿岸漁業と沖合漁業の競争力強化対策が合わせて15%、資源評価・管理予算と水産研究・教育機構(FRA)の運営費等が9%、外国漁船対策や捕鯨対策等に8%となっています。

 

水産予算の目的

予算の中で最も大きな割合を占める水産公共事業については、漁業生産量が過去35年間で7割近く減少し、漁業者数も過去20年で4割以上減少している中で、これまでと同様に多額の金額を漁港の整備等に費やす必要があるのかどうかは、検討が必要な事項です。一方で、公共事業は地域の経済対策といった側面も有しており、水産業や漁村への影響だけではなく政府全体としての公共事業への投資の方針を踏まえる必要があるため、ここではいったん評価は置いておくことにします。

このため、水産公共事業を除いた水産予算の使われ方について、検証を行いたいと思いますが、そのときに必要な観点はまず、「どのような政策目的のために予算が定められており、その政策目的を実現するために予算が効果的に使われているか」と考えます。

水産政策の目的は、水産基本法や農林水産省設置法などの文言から読み解くことができますが、大きく分けて、①国民への食料の安定供給、②水産業や関連産業の発展、③地域経済や文化の振興、④水産資源の適切な保存及び管理が挙げられます。

 

なお、これらの目的は独立したものではなく、相互に関連しています。水産業が発展すれば、食料の安定供給が可能となり、地域の振興が図られ、地域の基盤があるからこそ水産業が発展していきます。中でも、水産資源なくしては水産業が成り立たず、魚が獲れなければそこに漁業者が住み続けることもできなくなります。つまり、水産資源の適切な保存及び管理は、他の全ての目標の実現の基盤となるものと言えます。

こうしたことを考えると、水産予算は、①食料供給、産業の発展、地域の振興、水産資源の保全という水産政策の目的を実現するために効果的に使われるべきであり、同時に②その中でも基盤となる水産資源の保全にマイナスの影響が生じることのないようにする必要があると考えられます。

この資源への影響の部分が、WTOで議論されてきた有害補助金の考え方であり、例えば漁業を振興するために漁船を多く造り過ぎることによって過剰漁獲につながるような場合があれば、資源に悪影響をもたらすというものです。

 

水産予算の使い方の検証

日本の水産予算の概略は既に述べた通り、公共事業予算のほかには、漁業経営安定対策関係が32%と大きな割合を占めています。漁業経営安定対策の主な内容は、漁業者の収入が減少した場合にその一定割合を補てんする漁業収入安定対策事業や、燃油代上昇対策などです。昨今のコロナ禍における水産需要の減少、サケやイカ、サンマなどの一部の魚種の記録的な不漁、燃油代の高騰などによってこうした経営安定対策費が増加している背景があります。

これらの漁業経営安定対策が水産政策の4つの目的にどのように貢献しているのかを考えてみます。経営安定対策の内容は、簡単に言えば漁業収入の減少や燃油代の高騰によって経営状況が厳しい漁業者を救済するものです。漁業者がコロナ禍や不漁、燃油代高騰の影響を受けて漁業を続けられなくなれば、漁業生産が縮小します。そうすると、少なくとも短期的には食料供給にマイナスの影響が生じますし、地域に住む漁業者が減少すれば地域振興にもマイナスの影響を生じると考えます。このため、漁業経営安定対策を行うことによって、食料の安定供給や地域の振興という政策目的の実現を図っていると考えられます。

一方で、産業の発展への影響は慎重に考える必要があります。産業が健全に発展するためには、一定数の漁業者が必要ですが、今いる漁業者を全て補助金によって支援することが漁業の発展につながるとは限らないからです。コロナ禍や災害などの不可抗力による影響によって経営力のある漁業者が漁業を辞めてしまうのは国民にとってもよいことではありませんが、もともと経営力のない漁業者が補助金により漁業を続けることは、産業を強くすることにはなりません。

例えば、飲食業界において味が悪くて人気のないお店が、補助金があることによって5年10年と経営を続けられたとしても、社会にとっての意義はあまりないでしょう。人気がないお店は淘汰される仕組みがあるからこそ、日本の飲食業は、低価格で味もサービスもよいお店が多く、世界の中でも有数の競争力を有していると言えます。

漁業においても、コロナ禍や不漁などの短期的な影響に対処するために、一時的に経営安定対策の支出が増えることはあるかもしれませんが、日本の漁業が補助金に依存する弱い産業として続くことは避けるべきです。日本は豊富な水産資源に恵まれ、寿司や和食など魚を使った魅力的な食文化を有しており、日本の漁業は今後もさらに発展するポテンシャルがあると多くの関係者が感じているものと思います。

 

これからの水産予算のあり方

水産予算の使い方として、漁業者の収入減少の補てんに大きな割合を割くのではなく、強い産業をつくるために投資することがより重要と考えます。

例えば、沿岸漁業の競争力強化のための予算として「浜の活力再生・成長促進交付金」がありますが、これは地域の特徴を活かしながら漁業所得を向上するための計画(浜プラン)を策定した地域に対して、計画の実施に必要な資金を支援するものです。

具体例として、2021年に農林水産大臣賞を受賞した下関の沖合底びき網漁業では、浜プランによって、①ITの導入による生産性の向上、②市場関係者や観光業者などとの連携によるアンコウなどの地魚のブランド化、③小型魚の保護を始めとする資源管理の3つの取組を推進。結果、操業一か統当たりの水揚げ金額は4倍に上昇したとのことです。(2022年9月14日水産経済新聞参照)

このように、地域の関係者が議論をして強い産業を作るために行う取組を支援することは、水産政策の4つの目的を実現するために効果の高い予算の使い方と言えるでしょう。

特に、IT化は今やどの産業においても収益力を向上させる鍵となっており、水産業においても、スマート水産業などの取組によってイノベーションを促すことが期待されます。2021年からの10年間は持続可能な開発のための国連海洋科学の10年と位置付けられており、その中で海のデジタル化によって自動化とAIを組み合わせた海洋の観測を進めることが挙げられています。水産分野におけるIT化への投資は、日本にしかできない技術革新をもたらす可能性があります。

更に、先に述べたように、水産業が存続するためには、水産資源が豊富にあることが前提となります。昨今は地球温暖化の影響などにより、日本周辺の魚の分布も大きく変わりつつあり、サケ、イカ、サンマなどの一部の魚種では記録的な不漁が生じています。こうした環境変化の中で、水産業を発展させていくためには、水産資源を適切に管理するために必要な調査を更に強化していくことが重要と考えます。

水産資源の調査は、国全体では水産研究・教育機構が担っており、更に各都道府県ごとの水産試験場も役割を担っています。これらの研究機関の体制を強化して、研究者と漁業者とが上手く連携しながら、環境変化と水産資源に関する調査を深めていくことも、日本の水産業を発展させるために必要な重要な投資になるでしょう。

 

文・粂井真(くめいまこと)
UMINEKOサステナビリティ研究所(USI)代表。1975年生まれ。北海道出身。
平成14年〜平成25年農林水産省勤務。民間企業にて農林水産ビジネス、環境政策等に関するコンサルティングに従事した後、令和3年にUMINEKOサステナビリティ研究所を設立。水産資源の回復に向けたフォーラムの運営等を担う。