ミシュランシェフが考える、日本の水産、外食産業に必要な新たなムーブメントとは(前編)

ミシュランシェフが考える、日本の水産、外食産業に必要な新たなムーブメントとは(前編)

東京・西麻布に店を構える、ミシュラン三ツ星のフレンチレストラン「L’Effervescence(レフェルヴェソンス)」。日本の食材や文化を背景に、「日本人がフランス料理を変革できる可能性」を追求するスタイルが多くのファンに支持されています。また、イベントを通じて被災地や子ども食堂、ワールド・セントラル・キッチンへの寄付を行うなど、社会貢献活動においても他店を牽引する存在として知られています。

そのレフェルヴェソンスの開店からエグゼクティブシェフを務めるのが、生江史伸さん。2022年6月8日にニューヨークの国連総本部で行われた「世界海洋デー」イベントに、ルレ・エ・シャトーを代表して日本人唯一のパネラーとして参加し、「海藻」をテーマに5分間のスピーチを行いました。

スピーチのテーマに海藻を選んだ経緯や、スピーチへの反響、海外のサステナビリティへの意識など、生江シェフにお話を伺いました。

 

生江史伸(なまえ しのぶ)
1973年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学卒業後、広尾「アクアパッツァ」で料理の道に入る。2003年より北海道「ミッシェル・ブラス トーヤ ジャポン」でフランス料理の研鑽を積み、フランス・ライヨールの本店「ミシェル・ブラス」へ。2005年よりスーシェフ(副料理長)。2008年よりイギリス「ザ・ファットダック」でスーシェフおよびペストリー(パティシエ)を務め、2009年に帰国。2010年「レフェルヴェソンス」のオープンよりエグゼクティブシェフを務める。
http://www.leffervescence.jp

 

※ワールドセントラルキッチン:自然災害などにより危機的状況に置かれた人々やコミュニティに食事を届ける食料支援NGO団体。料理人のホセ・アンドレス氏が設立。2020年2月、新型コロナウイルス感染症のため横浜港に停泊した「ダイアモンド・プリンセス号」の乗客にも食事を提供したことで知られる。
URL:https://wck.org

 

海藻をテーマに、ニューヨークでスピーチ

——生江シェフは今年の6月8日にニューヨークの国連総本部で行われた「世界海洋デー」イベントに参加し、スピーチをされました。そのスピーチで海藻をテーマにしたのはなぜですか?

始まりは昨年、レフェルヴェソンスも加盟しているホテル・レストランの会員組織「ルレ・エ・シャトー」が、日本スローフード協会と「味の箱舟」というプロジェクトをスタートした時のことです。

「味の箱舟」は、今のままでは消えてしまうかもしれない各地方の伝統的かつ固有の在来品種や加工食品、伝統漁法による魚介類などを世界共通のガイドラインで選定し、その生産や消費を守り、地域における食の多様性を守ろうという取り組みです。日本でもこのプロジェクトをスタートして守るべき食品を選ぼうということになり、その時に私がワカメを挙げたのです。

現在、日本の海では磯焼けにより、ワカメをはじめとする海藻が減少しています。私は北海道・礼文島の昆布漁師のほか、湘南のワカメやヒジキの漁師、店で使っているしょっつるの原料となる秋田のハタハタ漁師、能登や石川など北陸の漁師、東北の沿岸の養殖事業者などと交流がありますが、どの漁師からも一昨年頃から海藻がまったく採れなくなったという話を聞いています。

——海藻の減少は急速に進んでいるということなのですね。

私は湘南の生まれで子どもの頃から海にはよく行っていましたし、今でも定期的にダイビングをしているので、近年急速に海藻がなくなっていることを実感しています。子どもの頃は海の中で足に絡みつく海藻が不快なほどでしたが、今はそれが無いのです。

30年間江ノ島周辺の海に潜り海中の写真を撮り続けているというダイバーのワークショップに行ったときも、展示されていた30年前の海の写真には海藻の森が写っているのに、今の海の写真には何もなく、砂漠のような景色が広がっていました。

海の中の環境が変わってきているのです。海に潜っている人たちはそれを感じていますが、そうでない人たちは海の中を見ることがないので、何が起きているかを知りません。そのため私は、このままではいけない、海の現状をきちんと伝えていかないといけないとう問題意識を抱くようになりました。

その後、フリーダイバーの訓練を受けたり、海藻学者やプロのフリーダイバー、漁師と一緒に地域のコミュニティで子ども向けの海藻教育ワークショップに参加したりもしました。それらの体験を交えつつ、海藻という視点から地球温暖化にどうチャレンジできるかということや、未来に向けた教育の必要性についてスピーチしました。

 


ニューヨークでの「世界海洋デー」イベントで、唯一の日本人登壇者としてスピーチをおこなった

 

海を再生するよりも、海に対する人間の意識を再生しなければならない

——スピーチに対する反響はいかがでしたか。

英語でのスピーチだったということもあってか、残念ながら日本国内での反響はそれほど大きくはありません。ですが、会場にいた研究者などからは「その話を聞きたかった」という声をたくさんいただきました。北欧で海藻を養殖している事業者からSNSでメッセージをもらったりもして、世界の各地で頑張っている人たちがいるのだということがわかりました。

また、このイベントの冒頭で海洋生物学者のシルビア・アール氏が、「海を再生するよりも、まず海に対する人間の意識を再生しなければならない」と言っていたことが印象的でした。また、国連からは「世界の中でも特に海藻を多く使う日本人が、世界を引っ張っていく可能性を秘めている」と言われ、改めて身の引き締まる思いでした。

ニューヨークではこのスピーチが行われたイベントのほかにも、6月8日の世界海洋デーと6月5日の世界環境デーに関連してさまざまなイベントが開催されました。私もワークショップに参加するなどして、新しい学びや同じ思いを持つ人とのつながりを得ました。つくづく現地に行ってよかったと思っています。

 


イベントのアフターパーティやワークショップでは、世界各地で志を同じくする人たちとの新たな出会いも

海外では、民意がサステナビリティを推し進めている

——生江シェフは過去にフランスやイギリスのレストランで仕事をしたご経験がありますが、海外でのサステナビリティに対する意識についてはどう感じておられますか。

私が知る限りでは、海外では民意が特に強いように思います。2008年から2009年にかけてイギリス郊外の「ザ・ファットダック」というレストランで働いていたときに、とてもショッキングなことがありました。レストランジャーナリストとロンドンのレストランオーナーが連名で始めた署名活動が回ってきたのですが、その内容が、「ノブ・ロンドン」という和食レストランが大西洋のクロマグロを使っているのでボイコットしよう、というものだったのです。

イギリスではこのように、ジャーナリストやレストランオーナー、シェフたちが手を組んで、悪いことは悪いと主張しようという文化があります。アメリカでも、ある地域でカジキを使っているレストランをボイコットする運動が起きているというニュースを見ました。

日本では英語という言葉の壁の問題もあって海外のニュースに触れようとせず、世界のレストランで何が起きているか知らない料理人も少なくないと思います。海外の動きを知り、自分たちもボトムアップしようという努力が必要です。

 

国連本部「世界海洋デー」イベント会場で放映された生江シェフの紹介ムービー

 

——日本でも、近年はサステナビリティへの社会的な関心が高まってきていると思いますが、シェフの取り組みに対するお客様の反応には変化を感じますか?

直感的には、世にあふれた「サステナブル」という言葉に飽き飽きしている方もいるように感じます。店では料理に使っている食材を意識していただくため生産者のリストをお客様にお配りしていますが、喜んでくださる方がいる一方で、見たくないという方もいます。

見たくないという方からは、「この店は良い生産者とつながっている、良い食材を使っているというのは知った上で信頼して食事に来ているのだから、そこを再確認するための情報はいらない」と言われます。

 


若布のほか蛤、伊勢海老、ホタルイカ、筍、山山椒を使った生江シェフの一品「Underwater Forest」

しかし私にとって料理人とは、生産者と食べる人をつないで、すべての命が大切だという絶対的な考えを一致させることができる仕事です。私の店でも、命の大切さに気づいてくださるお客様が1人でも増えてくれればと思っています。

日本全体をすぐに変えるのは難しいですが、東京には約1,400万人の人が住んでいます。その1,400万人に何かを伝えられればというのが、私が今でも東京で仕事をし続けている理由のひとつです。

 

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取材・執筆:河﨑志乃
デザイン事務所で企業広告の企画・編集などを行なった後、2016年よりフリーランスライター・コピーライター/フードコーディネーター。大手出版社刊行女性誌、飲食専門誌・WEBサイト、医療情報専門WEBサイトなどあらゆる媒体で執筆を行う。