サクセス・ストーリー1−1 モントレーの海とSeafood Watch

サクセス・ストーリー1−1 モントレーの海とSeafood Watch

現在世界では多くの企業、NGO、NPO、そして行政、地域が協力し合い、サステナブルシーフードを普及させる動きが活発になってきています。その中でも、アメリカ西海岸にあるモントレー水族館の活動は斬新的、かつ説得力があり各方面より高く評価されています。そんなモントレーも1950年代には沿岸の海洋資源を壊滅的状態にまで追いやってしまった過去があります。沿岸漁業の衰退から約60年、モントレーの街はどのような道筋をたどり、サステナブルシーフード界のリーダーになったのでしょうか。

モントレーの漁業が始まったのは、1850年頃。アメリカン・ドリームと、その豊かな海洋資源を求め、各国から移民が押し寄せました。彼らの目的はイワシ。地形や気候に恵まれたモントレーの沿岸はプランクトンが発生しやすく、大きく太った良質のイワシが海の底から湧き出るように大量にいたそうです。1900年代に缶詰の技術が持ち込まれると、更に港は活気に満ち、港に漂う生臭い魚の臭いは「悪臭の富」とまで呼ばれました。第二次世界大戦中には日持ちのする戦時食として缶詰は重宝されモントレーの漁業は最盛期を迎え、1シーズンに250,000トンもの漁獲高を誇ったそうです。

乱獲開始から50年、かつては海面が光り、盛り上がるほどいたイワシが1950年代に入るとピタッと姿を消しました。無限にあるように思えたモントレーの海洋資源がたった50年で壊滅してしまったのです。1972年には最後の工場、ホブデン缶詰工場が閉鎖し、かつては「世界のイワシ首都」とまで呼ばれたモントレーの街はその産業を失いました。

1977年、工場跡地のすぐそばにあるスタンフォード大学の海洋研究所の研究者たちのアイディアから、工場跡地を水族館にする計画が持ち上がりました。強力なサイエンス知識をバックグラウンドに持つ彼らは水族館の構想当初から、モントレーの豊かな生態系の魅力を発信すると共に、モントレーの海の歴史から学んだ教訓を伝えていく、という強い使命感があったようです。

デビッド&ルシル・パッカード財団からの支援を得て、構想から7年、1984年に最後の缶詰工場、ホブデン缶詰工場の跡地にモントレー・ベイ水族館がオープンしました。以降、充実した学校向けの教育プログラムや、研究施設、そして野生動物の保護プログラムなどを次々と設立し、業界からも一目置かれる存在になりました。

1997年、企画展として行われた”fishing for solution”では、地元でよく食べられる魚を水槽に入れ、大型漁船による大量漁獲や、生態系に悪影響を及ぼしてしまう養殖などの問題を取り上げました。普段食卓に並ぶような見慣れた魚が、水族館の展示になっている、と意外性が反響を呼び、企画展は成功を収めました。また、企画の一環として、水族館のカフェなどで提供されるシーフードを独自の基準で審査し、環境に配慮して獲られたシーフードのみを使用すると公約し、そのリストを入館者に配布しました。これが、Seafood Watchの始まりです。

1999年にはSeafood Watchがプログラムとして本格的に始動、魚種別、地域別で漁業の持続性を判断し、赤(資源枯渇!)・黄(あまりおすすめではないが、可)・緑(おすすめ)の3段階に分類しています。その分かりやすさと信頼性でSeafood Watchの需要性はモントレーから現在はアメリカ全土へと広がりました。

水族館という特殊な立場からサステナブルシーフードの重要性を消費者に直接訴えかけることで、消費者のニーズに答えようとマーケットが動き出す・・・アメリカの小さな水族館が、強力なムーブメントを生み出したのです。過去の過ちがあったからこその説得力、そして多様な生き物に恵まれた美しい環境。水族館を訪れた人々も美しい海に触れ、この海を将来に残していくことの大切さがストレートに感じ取れたのでしょう。

現在ではアメリカ全土、そして国外にもパートナーを持ち、Seafood Watchのネットワークは広がっています。次回は、Seafood Watchの基準を取り入れ、他のスーパーやレストランからの差別化に成功した例をご紹介します。

 

出典:Monterey Bay Aquarium History, Monterey Bay Aquarium Seafood Watch Press Kit, The Cannery Row Foundation Web Site