今こそ漁村文化と真っ当な漁師を守る時。現場に寄り添う研究者の言葉(前編)

今こそ漁村文化と真っ当な漁師を守る時。現場に寄り添う研究者の言葉(前編)

九州大学大学院で、生態工学研究室の准教授を務める清野聡子さん。以前は東京大学で海洋生物学者としてカブトガニなど古代から生きてきた海洋生物の研究を行う傍ら、環境省、国土交通省、内閣府、水産庁などの法制度や技術検討の審議会、専門家会議、地方自治体の海洋環境関係の計画、対策などに多数参加してきました。

その後、2010年に福岡県に移住し、九州大学大学院の研究者に。教職以外に、海洋教育プロジェクト「九州大学うみつなぎ」(https://umitsunagi.jp/about)のプロデュース・運営などの活動を行うほか、現在も各種審議会や専門家会議などに参加しています。

東京大学での研究をやめ九州に移った経緯や、九州の中でも特に研究に力を入れているという対馬が抱える課題と取り組みなど、清野さんの目線から見た日本の水産の現状を伺います。

 

清野聡子(せいの さとこ)
神奈川県逗子市出身。海岸散歩の面白さに3歳で目覚め、研究者の道を目指す。1989年東京大学農学部水産学科卒業。1991年同大学大学院農学系研究科水産学専攻修士課程修了。博士(工学)。東京大学大学院総合文化研究科助手、助教を経て2010年より九州大学大学院工学研究院 環境社会部門 准教授。専門は海岸・沿岸・流域環境保全学、生態工学。

 

環境の保全を社会の仕組みとともに考える

——専門とされている「生態工学」について教えてください。

生態工学は、生態学と工学の境界領域のような分野です。特に私が所属している研究室は工学の中でも土木工学を専門にしていますので、生態学と土木工学の融合的な領域ということになります。1997年の河川法改正や1999年の海岸法改正などで社会の仕組みが変わった1990年代につくられた、比較的新しい分野です。

元々、人間の住む場所は土や木や石といった自然のものでつくられてきましたが、近代土木ではコンクリートや鉄を使って大規模な開発を行い、自然の生態系を壊して人間の場所をつくるようになりました。その結果、ヒートアイランド現象や、水や空気の汚染、自然資源の枯渇などの問題が起き、自然災害の増加にもつながっています。

もはや自然を守っていかなければ人類の生存も危ういという状況になったことから生まれたのが、生態工学という分野です。

——生態工学に興味を持ったきっかけは何だったでしょうか。

元々は水産学が専門で、カブトガニやイカの生態を研究していました。ですが、カブトガニの研究をしていた場所が埋め立てられてしまうということが起き、大変なショックを受けました。2億年も前、恐竜が出現する前からずっと生き続けてきたカブトガニが絶滅危惧種になっていくという、異常な時代に自分が生きているのだということをしみじみと実感したのです。

それから、人間がなぜ埋め立てをするのか、どういう仕組みで社会が河川や海に手を加えるのかということに興味を持ち、そちらの分野を研究するようになりました。

日本の水産学は、理科系中心で、水産に関わる法律や制度をほとんど扱っていませんでした。一方、土木工学は制度も含めて基礎科学と社会の仕組みをつなぐ手段を研究できるため、生態工学を専門とするようになりました。

国際問題も含めたダイナミックな現場に自らの身を置く

——東京大学での勤務を辞め、東京から福岡に移住して九州大学の准教授になられました。研究のフィールドとして九州を選んだのはなぜですか。

第一に、現場で何が起きているのかを知りたかったからです。

1996年から2010年までの間は、東京で河川法、海岸法、港湾法、水産基本法、海洋基本法の改正・制定に携わり、官僚や研究者たちと議論を重ねる毎日でした。制度設計に関わるというやりがいはあったものの、現場で何が起きているかは知ることができずにいました。仕事の合間に1、2週間ほど漁村に行く機会はあっても、それでは土地の雰囲気や考え方を掴むことはできず、住んでみなければわからないと思っていました。

東京から近い千葉県や神奈川県にも漁村はありますが、私にとって圧倒的にダイナミックで、研究対象として魅力を感じられたのが九州だったのです。九州は韓国、中国、台湾にも近く、水産の分野としては国際的な土地です。資源管理における海外との合意形成や、海外からくる海ごみといった環境問題など、社会の中に「国際」の意識が埋め込まれている土地です。

自国だけでなく海外の状況による影響も受けながら社会が変わっていくという実感が、実際に九州に住むことで得られると思っています。

——九州の中でも特に研究に力を入れているエリアを教えてください。

朝鮮半島近くにある長崎県の対馬と、福岡市と北九州市の中間に位置する宗像(むなかた)、長崎県西部に位置する五島、大学近隣の博多湾や糸島です。

中でも対馬は、2007年頃に海ごみ問題や海洋基本法の制定に携わりはじめた時から関係を持っていたエリアです。私は2003年頃から、国内外で生物多様性の議論が盛んになり、特に日本における海洋保護区の位置付けについて、NGO団体と議論を重ねていました。そして、海洋基本法の中に海洋保護区の設定についての内容を盛り込むにあたり、日本でまず海洋保護区を展開するのは現地が新たな海洋環境の政策が必要だと問題意識をもっている対馬にすべきだと考えたのです。

対馬は国境近くにあるため周辺の海に他国の船も入り水産資源を獲っていくという現状があり、対馬の方たちは「漁業交渉のみではこの海は守れない」と言っていました。漁業交渉は各国の漁獲量や漁期などを中心に決めるものですので、それだけでは他国の船が入ってきてしまう問題を解決できないのです。

その点海洋保護区は、漁業交渉のみならず包括的視点で海を保全しながら活用していくためのものですから、海洋保護区制度を展開するなら対馬だという思いがありました。2008年頃からその議論を始め、2009年には対馬の市議会に取り上げられるようになりました。

ここまで進めば遠くの東京で議論をするより、対馬の近くに移って、当事者に近い形で土木政策などを徹底的にやらなければならないと考えました。それが九州に移ったもうひとつの理由でもあります。

 

対馬で獲れるもの

国境に面し、さまざまな問題を抱える対馬で内発性を育む

——対馬では海外から来る漁船の他にどのような課題があるのでしょうか。

最大の課題のひとつは、まき網船による乱獲です。それに対して抗議するだけでも圧力が加えられていましたから、この問題は世間に伝わっていないような状況でした。その中で声をあげた地域のひとつが対馬だったのです。

課題はそれだけではなく、人口の減少という島の中の課題、磯焼けなど近海の課題、回遊魚やイカなどがいる遠洋の課題と大きく分けて3段階の課題があり、それらへの対策に皆で取り組んでいます。

対馬で研究を始めて約15年になりますが、海洋環境や水産資源の状況は悪くなるばかりです。しかし一方で、対馬の漁師やその他の住民たちが、自分たちで何ができるか、自分たちでどのようにして海の課題を解決するかと考え続け、それを市の政策に少しずつ反映してきたという成長があります。

また、2020年には「対馬グローカル大学」が開設され、対馬市民や対馬にゆかりのある人などを対象にWEB講義やオンラインゼミ、共同研究などを行なっています。講義内容には水産も含まれ、漁師やその他の住民の話し合いの場にもなっています。

——対馬で目指しているものは何でしょうか。

対馬でヒキジ場再生に取り組む漁師たち

 

漁師やその他の住民の自発性、内発性です。これまで、離島の水産は国の補助金で養われてきた部分が大きいという現状があります。お金ももちろん必要ですが、自分たちで海を調査したり、自らの力で何かをつくっていけるような活動をしたりして、もっと頑張っていただけたらと思っています。そのために教育や市民との連携の場をつくり、少しずつ人の輪を広げることで、皆が協力できる環境づくりにつとめています。

水産は、水産だけの世界に閉じこもって象牙の塔になるのではなく、社会と交流し社会のダイナミズムの中に入ってこそ、課題を解決していけると考えています。

 

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取材・執筆:河﨑志乃
デザイン事務所で企業広告の企画・編集などを行なった後、2016年よりフリーランスライター・コピーライター/フードコーディネーター。大手出版社刊行女性誌、飲食専門誌・WEBサイト、医療情報専門WEBサイトなどあらゆる媒体で執筆を行う。