公海に海洋保護区を設定 国連公海条約による日本の水産業界への影響とは

公海に海洋保護区を設定 国連公海条約による日本の水産業界への影響とは

国連公海条約の合意の背景

2023年3月4日に国連の政府間会合において、国家管轄権外区域での生物多様性の保全と持続可能な利用に関する条約(通称:国連公海条約)の草案が合意され、地球の表面積の4割を占める公海に保護区を設けることなどを決定しました。

海洋は、魚などの水産資源やバイオ燃料などの天然資源の供給はもとより、廃棄物や汚染物質の分解と排除の機能を有し、熱や二酸化炭素の吸収によって気候の急激な変化を緩和する役割も果たします。海の環境や生物多様性の保全は、人類がこうした海がもたらす恵みを享受しながら、持続可能な発展を実現するのに不可欠なものです。

一方で、海は誰でも利用できる共有資源であることから、古くからコモンズの悲劇(共有地の悲劇)として指摘されているように、皆が守るべき適切なルールを設定してそのルールが遵守される仕組みをつくらなければ、海のもたらす機能が損なわれて人類全体にとって望ましくない結果を招きます。

このため、海の憲法と言われる国連海洋法条約(1994年に発効して現在約170カ国が参加)では、海の生物資源を保存するために、各国が排他的経済水域内において適切な資源の保存・管理措置を定めること、公海では地域漁業管理機関の設立に協力することや、海洋環境を保護・保全する義務を有することを定めています。

 

マグロなどの高度回遊性魚類は公海にも分布するため、地域漁業管理機関で資源の保存・管理することになっている。

 

しかしながら、国連海洋法条約では、生物多様性の保全を図るための具体的な規定は設けられていません。1993年には生物多様性条約が策定され、各国が管轄する陸域と排他的経済水域内における生物多様性保全の枠組みが定められましたが、国家管轄権外の公海では、依然として法的な空白となっていました。

こうした中で、公海における生物多様性の保全と持続可能な利用についての議論が続けられ、約20年かけてついに今回の合意が得られました。現在は条約の草案が合意された段階ですが、今後は次回の会合にて条約の文言を最終確定した上で、60カ国が批准をすることで条約が発効します。フランスのマクロン大統領は2025年にフランスにて開催される国連海洋会議までにこの国連公海条約の発効を目指しているとのことです。

 

国連公海条約の概要

国連公海条約では、主に4つの内容について定めています。

第一に、海洋遺伝資源の利益配分についてです。国家管轄権外の深海底等に存在する微生物の遺伝子情報は、今後、医薬品や新素材などの開発により大きな市場規模をもたらすことが期待されており、海洋遺伝資源と呼ばれています。この海洋遺伝資源の調査・研究によって得られた情報はルールに従って共有され、これにより得られる金銭的利益の一定割合を海洋保全のための基金に支払うことが定められました。

第二に、海洋保護区の設定を含む区域型管理手法の措置についてです。今回の合意に先立つ2022年12月に開催された生物多様性条約の締約国会議にて、2030年までに世界の陸域・海域の30%を生物多様性保全のために保護・管理する「30by30目標」が合意されました。この30by30目標を実現するために、国連公海条約では、公海において海洋保護区を設置するための手続きを定めました。

第三に、環境影響評価についてです。公海において、海洋環境に重大な汚染や負の影響を及ぼすもたらすおそれのある活動を行おうとする場合には、事前にステークホルダーが参画するプロセスにより、環境影響評価を実施して公表することが定められました。なお、具体的にどのような活動が該当するかについてのガイドラインは、今後、本条約に基づき設立される科学技術機関により定められ予定です。

第四に、能力構築及び海洋技術移転についてです。条約の参加国は相互に連携しながら、途上国への情報や技術の提供、インフラや人的資源の強化等により、公海における生物多様性の保全と持続可能な利用の促進に努めることが定められました。

 

海洋保護区の設定と漁業への影響

本条約による日本の水産業界への影響として挙げられるのは、公海における海洋保護区の設定の動きです。先に述べたとおり、2030年までに海洋の30%を保護することが国際目標としてすでに定められており、今後、公海のどの部分を保護区域として設定し、どのような保護の形を取るのかについての具体的な議論が始まります。

なお、保護区域においても、漁業などの活動が一切禁止されるものではありません。保護区域は、生物多様性と生態系の保全が特に重要な場所について、人と自然が「共生する地域」としてその効果的な保全を行うことが生物多様性条約の枠組みでも定められており、資源管理を適切に行いながら持続可能な形で行う漁業活動は、人と自然の共生のあり方と考えられます。ただし、既存の地域漁業管理機関における枠組みの中でも、期間や地域を限定した禁漁区域を定めている場合(例えば、日本が中心的な役割を担っている北太平洋漁業委員会では、天皇海山海域において禁漁期間や禁漁区域を設定)があり、そのような検討は今後も行われるものと考えられます。

また、保護区域では、深海底における鉱物の採掘等も制限されることが見込まれます。深海底では希少な鉱物資源や天然資源が存在しますが、同時に、かつては光の届かないために生物が存在しないと考えられていた深海底は希少な生物多様性の宝庫であると今は考えられています。深海底での鉱物の採掘はこうした深海の生物多様性を損なう懸念が指摘されており、また採掘に伴う砂煙の発生は広範囲にわたって漁業にも悪影響を及ぼすことが指摘されています。
このため、公海における保護区域が設定され、生物多様性保全のための規制が設定されることは、適切な資源管理を実施している漁業にとってはプラスの影響が大きいものと考えられ、保護区域を積極的に活用できるように議論に参画することが望ましいものと考えます。

一方で、公海における保護区域の設定には、まだ課題もあります。その一つが実効性の確保です。保護区域を書類上で設定することには意味がなく、保護区域において違反がないことをどのように確認し、保護区域の効果をどのように評価し、そのための財源をどのように確保するのかといった点については、今後も議論を詰めていくことが必要です。

 


2021年時点での日本の自然保護区の割合(https://policies.env.go.jp/nature/biodiversity/30by30alliance/より)

 

日本の自主的な資源管理を活かして新たな枠組みに参画する

欧米では、環境と人間活動とを切り離して、環境を保全しようとする傾向が見られる一方で、日本では古来より自然と人間が共存するとの考えの下、里山や里海では自然がもたらす恵みを享受できるように人が適切な管理を行いながら自然環境の保全に取り組んできた伝統があります。

日本の漁業では、古くから自主的に資源管理を実施し、管理の形態の一つとして保護区域の設定などもを行ってきました。こうした日本の有する知見と経験を活かしながら、国際的な海洋の保護と生物多様性の保全の流れに積極的に参画し、持続可能な漁業と調和した保護区域の設定の議論を主導することが、長期的な日本の水産業にとっての利益にも結びつくものと考えられます。
2023年3月に策定された農林水産省生物多様性戦略においても「漁業者の自主的な共同管理によって、生物多様性を保全しながら、これを持続的に利用していくような海域も効果的な保護区となりうるという基本認識の下、こうした日本型海洋保護区の普及啓発を図っていく」ことが定められています。

一方で、日本の漁業では古くから里海などにおいて地域の生物多様性を保全する取り組みが行われてきましたが、当たり前のこととして行ってきたがために、モニタリングや取り組みの効果の評価の部分については十分に意識されておらず、改善の余地があります。また、これまで経験に頼って行ってきた自主的な資源管理の取組を科学的根拠に基づきアップグレードしていくことも、課題の一つです。

豊かな海がなければ漁業も関連産業も成り立たず、海の生態系の保全が水産業の発展の基盤であることに鑑みれば、今後、日本の水産政策の中で生物多様性保全の取り組みがより一層強調されることが大事であり、そのためには水産関係者が海の生態系の保全・回復に取り組むインセンティブが生じるように、補助金の要件を見直すなどの取り組みも検討すべきと考えられます。

 

 

粂井真(くめいまこと)
UMINEKOサステナビリティ研究所(USI)代表
1975年生まれ。北海道出身。
平成14年〜平成25年農林水産省勤務。民間企業にて農林水産ビジネス、環境政策等に関するコンサルティングに従事した後、令和3年にUMINEKOサステナビリティ研究所を設立。水産資源の回復に向けたフォーラムの運営等を担う。