日本の水産業界は、環境、社会、財務面でのリスクの高まりに直面しています。しかし、サプライチェーンは複雑で不透明なため、これらのリスクへの対処は難しく、トレーサビリティの確保が喫緊の第一歩となっています。FAIRRイニシアチブ(以下、FAIRR)が2026年5月27日に発表した「Coller-FAIRRシーフード・インデックス(以下、シーフード・インデックス)」は、トレーサビリティを含む16のサステナビリティ関連トピックについて、企業が開示する複雑な定性的・定量的情報を投資家が評価できるようにするものです。
シーフード・インデックスでは、日本の企業6社(Umios、極洋、ニチレイ、ニッスイ、丸紅、三菱商事)が対象となっており、これらの企業の平均スコアは100点満点中20点であるのに対し、同インデックスの対象となる全20社の平均スコアは100点満点中30点となっています。UmiosやニッスイがTNFD評価の一環として実施した天然魚に関するリスクのマッピングなど一定の進展が見られました。
結果についての公式サイトはこちら:
https://www.fairr.org/tools/seafood-index/overview
水産業は、食料安全保障と経済成長の両方にとって極めて重要なセクターである「グローバル・ブルーエコノミー」の中核をなしています。水産物のサプライチェーンは年間推定1.8兆米ドルの経済規模を生み出しており、これは世界GDPの2%近くに相当します。世界有数の水産物生産国、消費国、市場である日本にとって、この産業は国の文化、人々の生活、栄養補給の基盤となっています。しかし、こうした経済的・文化的価値の裏側には、環境、社会、金融のリスクが複雑に絡み合っており、投資家たちの間でもその認識が高まっています。
国連食糧農業機関(FAO)によると、現在、世界の魚類資源の35.5%が枯渇状態にあり、一方で違法・無報告・無規制(IUU)漁業による漁獲量は年間2,600万トンに達し、これは世界総漁獲量の約15%を占めています。
労働者の被害も深刻です。「水産物認証・評価共同プロジェクト(Seafood Certification and Ratings Collaboration)」の調査によると、評価対象となった国の68%で、水産部門における強制労働、児童労働、または人身取引の事例が確認されており、バリューチェーン全体にわたるガバナンスと人権に関する懸念が差し迫っていることが浮き彫りになっています。漁業の労働現場における死亡率は他業種に比べて著しく高く、毎年3万2,000人の犠牲者が出ていると推計されていますが、この数字は実態を大幅に過小評価していると見られています。

FAIRRが最近、世界の主要な水産物企業7社(Umios、タイ・ユニオン、チャロン・ポカパン・フーズ、ニッスイ、ノマド・フーズ、丸紅、三菱商事)に対して行った投資家エンゲージメント調査(日本語解説記事はこちら)によると、全社が過剰漁獲と海洋生息地の喪失をサプライチェーンに対する潜在的な脅威として認識していることが明らかになりました。しかし、これらのリスクに対処するための重要な手段としてトレーサビリティを認識していたのは3社 (タイ・ユニオン、チャロン・ポカパン・フーズ、三菱商事)のみでした。サステナビリティ問題が管理されないと、運営コスト、規制コスト、評判の低下といった形で財務上のリスクが顕在化することが多いことを考えると、これは懸念すべきギャップです。
日本の水産業界にとって、トレーサビリティの導入は、市場での存在感を維持し、グローバルに事業を拡大し、責任ある投資を呼び込み、ひいては持続可能な成長を実現するために不可欠となるでしょう。シーフード・インデックスでは、トレーサビリティを基本指標として企業のパフォーマンスを評価しています。日本の6社の平均スコアは27点(100点満点)で、全20社の平均スコアと同水準でした。
サプライチェーンにおける社会的・環境的リスクに対処するため、トレーサビリティの構築が重要であることから、FAIRRは2026年も「水産物トレーサビリティ・エンゲージメント」の第3フェーズを通じて、このテーマについて投資家や日本企業との対話を継続していきます。FAIRRによる第2フェーズの投資家エンゲージメントは、7つのグローバル水産大手企業を対象に、総資産9.6兆米ドルを運用する45の投資家の支援を受け、Planet Tracker、World Benchmarking Alliance、UNEP FIの「持続可能なブルーエコノミー・ファイナンス・イニシアティブ」、および世界自然保護基金(WWF)米国の後援を得て実施されました。対象には、丸紅、Umios(旧マルハニチロ)、ニッスイ、三菱商事の4社の日本企業が含まれ、厳しい調査が行われました。
日本の水産業界全体の進捗は依然として不均一です。昨年、業界をリードするタイ・ユニオンやCPフーズに続き、確固たるトレーサビリティへの取り組みを表明したのは、Umiosと三菱商事の2社のみでした。三菱商事の新たな「水産物調達方針」および改訂された「マグロ調達ガイドライン」は、トレーサビリティに関する同社にとってこれまでで最も断固とした公的な姿勢を示すものであり、信頼できる行動を求める投資家にとって重要なシグナルとなっています。しかし、ニッスイと丸紅はトレーサビリティ実施計画が提示されておらず、サプライチェーンの可視性において大きなギャップが残されています。
情報開示の面では、日本の水産大手各社は「自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)」に沿った有望な取り組みを進めています。4社(Umios、 ニッスイ、丸紅、三菱商事)すべてがTNFDの評価フレームワークを適用し、子会社、事業拠点、あるいは魚種レベルでの優先事項を特定しています。特に、事業活動が生物学的にも重要な海域と重なる地域において、この取り組みが重視されています。これは、生物多様性に関するリスクが実際の財務的影響をもたらすという認識が高まっていることを反映しています。
持続可能な調達においては、Umiosとニッスイが透明性の高さで際立っています。両社とも、自社の漁獲資源の生態学的持続可能性を評価するために海洋資源調査を実施しており、2030年までに水産物を100%、持続可能なものにすると公約しています。
こうしたギャップがある中、日本の水産業界は重大な岐路に立っています。トレーサビリティ体制の強化は、事業経営のレジリエンスや投資家の信頼を高めるだけでなく、真に持続可能なブルーエコノミーの形成における日本の主導的役割をも変革する可能性があります。
FAIRRによる広範な調査からは、日本にとどまらず世界の水産業界全体をみると実施状況については根強くギャップが存在することが浮き彫りになっています。持続可能性やトレーサビリティに関する公的なコミットメントは増加しているものの、その多くは公約の段階で停滞するリスクを抱えています。例えば、シーフード・インデックスに組み入れられている20社のうち、「海洋資源の持続可能性」に関する平均スコアは100点満点中23点にとどまっており、トレーサビリティが不可欠な出発点となるサプライチェーン対策の導入レベルが低いことを示しています。
コミットメント内容が実施されている場合でも、その進展はしばしば限定的な範囲にとどまっています。例えば、タイ・ユニオンの「SeaChange 2030」戦略では、トレーサビリティシステムが主にマグロとエビの製品ラインに適用されており、ポートフォリオ以外はほとんど対象外となっています。このような選択的なアプローチは、企業のサステナビリティ目標の全体的な影響を制限し、他の大量取引される魚種に関連するサプライチェーンのリスクを不透明にしています。
心強いことに、一部の企業はより高い基準への適合を始めています。三菱商事とタイ・ユニオンは現在、そのコミットメントにおいて「水産物トレーサビリティに関するグローバル・ダイアログ(GDST)」を明確に言及しています。FAIRRのエンゲージメント第1フェーズの時点で言及していた企業は1社のみだったので、一歩前進したと言えます。
一方、UmiosはWWFと協力し、ペルーでGDST準拠の電子トレーサビリティに焦点を当てたパイロット事業を実施しました。同社はGDSTに準拠した「TrazApp」を活用し、ペルーのマルアナゴ漁業においてその運用を試験しています。このアプリベースのシステムにより、漁師は位置情報、船舶識別番号、漁法などの主要データを船上で直接記録することができ、収集された情報は、政府機関、研究機関、港湾、市場、漁業関係者間で共有されます。

GDST準拠システムの導入は、自主的な取り組みと規制上の要件との間の重要な架け橋となり、バリューチェーン全体でのデータ共有と相互運用性に向けた調和のとれた枠組みを提供します。
しかし、構造的な障壁が依然として大規模なトレーサビリティの実現を妨げています。企業の半数以上(7社中4社)が、紙ベースの記録への依存、断片化されたデータシステム、加工時に複数の魚種が混在することを主な障害として挙げています。
複数の管轄区域、漁船、加工業者、流通業者にまたがる水産物サプライチェーン固有の複雑さが、これらの課題をさらに深刻化させています。Umiosのパイロット事業のようなデジタル化やデータ統合への投資がなければ、極めて志が高い企業のコミットメントでさえ、有害な慣行を覆い隠す不完全または検証不可能な製品履歴によって、その効果が損なわれるリスクがあります。
投資家にとって、これは単なる情報開示にとどまらないエンゲージメントが急務であることを示唆しています。取り組みの実証、エンドツーエンドのデジタルトレーサビリティシステム、そしてサステナビリティデータのコアビジネス戦略への統合に焦点が置かれるべきです。
長年にわたり、認証制度は水産物市場における持続可能性を示す主要な指標として機能してきました。マグロの缶詰に貼られた海洋管理協議会(MSC)のラベルから、養殖エビのパッケージにある養殖管理協議会(ASC)のマークに至るまで、その例は多岐にわたります。認証制度は基準を設定し、その遵守を確認するための有用な仕組みですが、各認証の枠組みが重視する課題は異なり、例えば人権問題に取り組むことはほとんどありません。
認証によるモニタリングには限界があります。認証は特定の生産慣行を検証することはできますが、サプライチェーンの1つ上の段階または1つ下の段階での可視性を提供するに過ぎず、その過程で情報が誤って、あるいは意図的に失われるリスクを高めます。対照的に、堅牢なトレーサビリティは、漁獲から消費者までの透明性を確保します。これにより、企業はIUU漁業から人的リスクに至るまで様々なリスクをモニタリングし、問題を迅速に特定して効果的に対応し、最終的には環境に関する主張を裏付けることが可能になります。
FAIRRの分析によると、アジアにおける認証水産物への消費者需要は依然として限定的です。場合によっては、認証製品がエコラベルを表示せずに販売されています。これは市場におけるインセンティブの弱さや、消費者間での認証価値に対する認識のばらつきを反映しています。こうした需要の低迷は、構造的な課題を浮き彫りにしています。すなわち、真にグローバルな規模に拡大するためには、認証制度に加え、複雑な供給ネットワーク全体にわたるデータの完全性とトレーサビリティを保証するシステムが不可欠であり、それが業界が漁業者や生産者と連携する上での基盤となる必要があります。
主要な認証機関は、こうしたギャップを埋め、連携を深め始めています。2026年1月、ASC、MSC、グローバル・シーフード・アライアンス(GSA)、およびマリントラスト(MarinTrust)は標準化、デジタル化された、相互運用可能なトレーサビリティシステムを推進するためのグローバルな枠組みが緊急に必要であるとの認識から、GDSTおよびその「1.2」基準への支持を表明する公開書簡を発表しました。この書簡の中で、署名団体は、GDSTフレームワークが認証制度に伴う事務的負担やデータの重複を軽減すると同時に、データの正確性と適時性、および認証済み水産物の一貫性ある正当性を向上させることを認めています。
このように主要な業界関係者は一丸となり、認証とデジタルトレーサビリティが連携して機能する未来を形作ろうとしています。これにより、水産業界全体において一貫性が生まれ、投資家の信頼が増し、真の持続可能性へのインパクトが促進されるでしょう。
水産業界が環境、社会、財務面での高まる圧力に直面する中、一つのテーマが際立っています。それは、トレーサビリティこそが将来のレジリエンスと競争優位性の基盤となるということです。堅牢なトレーサビリティシステムを導入することで、企業はリスクを早期に発見し、規制当局や投資家に対して透明性を示し、評判の毀損が財務的に重大な影響を及ぼす前に未然に防ぐことが可能になります。市場の期待が変化し、情報開示の枠組みが厳格化されるこの時代において、トレーサビリティはリスク軽減の手段であると同時に、戦略的価値を創出する原動力でもあります。
次の重要なステップは、志を具体的な行動へと転換することです。すなわち、全製品ポートフォリオにわたるトレーサビリティの導入、期限付きのマイルストーンの設定、そして報告されたデータに対する投資家の信頼を高めるための独立した検証の取得です。これらの措置がなければ、サステナビリティに関する公約は、単なる理想にとどまり、実務として機能しないリスクがあります。
1.水産企業向け
日本の主要な水産企業は、卸売業者や小売業者を含むバリューチェーン全体において、トレーサビリティを企業リスク管理の中核要素として組み込むことで、変革を加速させることができます。具体的には、単なるコミットメントから、具体的な期限を定めた実施戦略へと移行すること、独立した検証メカニズムを強化すること、そしてデータの信頼性と透明性を高めるデジタルイノベーションや業界横断的なベストプラクティスを導入することが求められます。
2.投資家向け
投資家は、活動を促進する上で極めて重要な役割を担っています。堅牢なトレーサビリティシステムの証拠を体系的に要求し、企業に対して世界的に認められた基準の採用を促し、セクター横断的な協力を支援し、こうした行動の価値を認識することで、投資家はバリューチェーン全体における説明責任を推進することができます。現在参加登録を受け付けているFAIRRの「水産物トレーサビリティ・エンゲージメント」フェーズ3への参加は、企業の行動に影響を与え、持続可能な水産物投資の新たな地平を切り拓くための直接的な手段となります。
FAIRRの「水産物トレーサビリティ・エンゲージメント」フェーズ3への参加についてはこちら
突き詰めていくと、長きにわたり世界のブルーエコノミーの礎となってきた日本の水産業界には、リーダーシップを果たす能力と義務の両方が備わっています。志を行動に移すことは、海洋生態系と人権を守るだけでなく、持続可能な価値創造を定義づける財務的レジリエンスと長期的な競争力を確保することにもつながります。
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