労働者の人権は、水産企業にとって喫緊の課題。関係ないと思わないで、まず着手してほしい(前編)

労働者の人権は、水産企業にとって喫緊の課題。関係ないと思わないで、まず着手してほしい(前編)

報道をきっかけに注目を浴びる、企業課題としての強制労働や国際的な人身売買。長く複雑なサプライチェーンを経て食卓へ届く水産物において、それは遠い世界のできごとではありません。企業による人権デューディリジェンスのための手引きとロードマップを自由に使えるツールとして公開しているので、関心を持ってほしい──と訴える、FishWise(以下フィッシュワイズ)ビジネス・エンゲージメントのエリン・テイラー氏。7年間かかわってきたフィッシュワイズでの取り組みを中心に、お話を聞きました。

 

Erin Taylor (エリン・テイラー)
FishWise ビジネス・エンゲージメントおよびSALT(Seafood Alliance for Legality and Traceability)シニア・プロジェクト・ディレクター。FishWiseの各部門を横断して活動し、企業パートナー、行政、外部協力者との協働体制を構築、運営。小売、卸、飲食、接客業などの企業、および業界団体に関わり、サステナビリティの目標達成やサプライチェーンの改善に向けたパートナーシップを主導。過去数年間はビジネスにおける社会的責任に取り組み、企業が人権や労働者の権利を課題として取り入れる動きを後押し。最近FishWiseのSALTチームに参加、ラテンアメリカ・カリブ海地域の政府、産業界、NGOとの活動を主導する。FishWise以前はニューイングランド水族館で天然魚のスペシャリストとして、トレーサビリティ、政策、認証、漁業改善、環境リスクなど、水産物に関するさまざまな問題について大企業に助言を行ってきた。ボストン大学卒、環境分析・政策の学士号を取得。

 

海洋生物から、人間と海の関係へ

――どんなきっかけや経緯があって、この分野に入られたのですか?

私が生まれ育ったのは見渡すかぎり海のない、アメリカの中西部でしたが、水族館が大好きな子どもでした。ところが海洋生物学を志し、大学で学ぶうち、自然科学としての海洋生物学だけではなく、人間と海との複雑な関係性にひかれるようになりました。

私は大学で学びながら、ボストンのニューイングランド水族館でボランティア活動を始めました。最初の仕事はペンギンの世話でしたが、水族館で実施するさまざまなプログラムの中に、大手企業やブランドと組んだ、水産物の調達改善の取り組みがありました。

このプログラムに関わる中で私は、自分の食べているシーフードが海からどうやって届くのかを知りました。例えばマクドナルドのフィレオフィッシュは、どこでも手に入ります。シーフードが漁業の現場から消費者に手に渡るまでのサプライチェーンの裏側を知ることで、大陸の真ん中で育った私の生活が、海とつながっていたとわかったのです。

その仕事での中でフィッシュワイズと接点ができ、その実践的なアプローチ、社会的視点を持ち、なにごとにも協働して取り組む姿勢に触れ、特に消費の現場につながるエンドバイヤーだけでなく、そのサプライヤーへも支援を広げる姿勢に共感しました。そして、フィッシュワイズが流通関連部門を拡大するタイミングで転職しました。

 

耳を傾け、人のふるまいを理解すること

フィッシュワイズで私は、水産物の流通に関わるさまざまな立場の人──小売、卸売、サービス業界、レストラン、寿司店の人たちと直接やりとりして、彼らの扱う水産物がどこから、どうやって来ているかを把握することに取り組んできました。これは簡単なことではありません。立場の異なるさまざまな部門、仕入れ先、さらに流通経路の上流との対話が必要になります。

その中で私たちの役割のひとつが、これから注目されそうな課題に焦点を当て、企業の対応をサポートすることです。その中で今まさに台頭しているのが、企業の社会的責任であり、中でも人権・労働問題です。水産業界におけるこの課題は特殊かつ複雑で、企業が状況を変えようとしても単独では難しい。政策レベルでの対応も必要なので、行政へのはたらきかけも行ないます。

なぜ、水産業界における人権・労働問題は複雑なのか──例えば、水産物の生産現場は、操業する海上の位置も、企業や漁船の帰属する国や漁港も、国や地域の境界をまたぎ、かつ多くの移民労働者が関わることが少なくありません。そうした場合、一企業がサプライチェーンに関わる各国の人権・労働に関する慣行に対して、改善の指示をすることは困難です。また遠洋漁業など、一度沖に出ると長期間漁を続けるような漁業の場合、実際の労働環境を把握することは困難をきわめます。

そうした難しさがある中、私が日々やっていることのほとんどは「人の話を聞くこと」です。漁業の現場から企業、行政セクターまで、それぞれの現場が直面する課題について話を聞き、できることを探し、サポートできる人につなぎ……。

問題の根幹は結局、人のふるまいであり、人間同士の関係です。だから解決には、直接話を聞き、話の行間を読み、点と点をつないで、根本にある原因を探さなくてはなりません。そうして人々の行動の根底にあるものを理解して、さまざまな人やグループを橋渡しします。これが私にとって、やりがいを感じる役割でもあります。

 


複雑な経路をたどって食卓に届く、水産物の流通(模式図はフィッシュワイズによる)

 

環境から人権へ、報道をきっかけに注目が集まった

――社会的責任や人権の課題は、どんな経緯で注目されてきたのでしょうか?

サステナブル・シーフードにおいて最初に注目された課題は「環境」でした。そして環境課題に取り組む中で、水産物がどこで獲られ、どうやって届くか、その道のりを知る必要がありました。サプライチェーンの各ステップの実態をひもとく過程で、水産業界の人権問題が見えてきたのです。

2010年代の前半、東南アジアで操業する漁船での強制労働が広く報道され、救援活動も知られるようになりました。特にパティマ・チャンプタヤクルさんの活動はめざましいものがあり、彼女の活動を紹介した力強いドキュメンタリー映画「ゴースト・フリート」(2022年日本公開)は大きな話題になりました。

一連の報道や映画をきっかけに、水産業界でも人権問題が注目されるようになりましたが、当時も今も、これは遠くで起きていることだと思っている人が少なくありません。

 

労働者自身とつながることが必須

――最近、日本でも労働者の人権問題を含む、IUU(違法・無規制・無報告)漁業の問題が大手メディアで報道され始めましたが、問題意識を持つのはまだ大企業に限られているように思えます。アメリカではいかがですか?

アメリカでは人権デューディリジェンスに取り組み、労働慣行の改善に取り組む企業も増えていますが、やはり大企業が中心です。しかしこうした根深い問題を解決するには、もっとさまざまなステークホルダーの参画が必要です。中小企業、政府、NGO、そして特に、現場で働く労働者の参画が大事です。

水産業の「労働者」には、伝統的な小規模の漁師もいれば、加工、凍結施設まで完備するような大型船の乗組員、養殖業者、その関連業者、他にも水産物が食卓に届くまでにはさまざまな人々が関わります。リスクが存在するのは、加工も流通も同じです。労働者個人が企業にものを言うのはハードルが高く、リスクを伴います。人権侵害と思われることがある場合に、労働者が通報したり、組合を通して発言できるしくみを用意しておくことが必要です。

――状況は変わってきていますか? 改善のステップは進んでいるのでしょうか?

労働者へのいかなる不当な扱いも許されないと考えると、それがゼロになるまで、まだ取り組みは不十分と言わざるを得ません。ステップということで言えば、「規制」も重要です。人権デューディリジェンスについては、国の政策が企業の取り組みを大きく左右し、行政が関わることで改善がスピードアップします。

私がそのことを実感したのは、今年、バルセロナで開催された国際水産見本市、Seafood Expo Globalでした。今まで10年間、ボストンで開催される北米のSeafood Expoに参加してきましたが、バルセロナでは、企業の社会的責任や人権問題の扱いが格段に大きいことに驚きました。

なぜか? 米国と違い、EU諸国には人権デューディリジェンスに関する法規制があるからだと思います。さらに近々、EU全体としての規制が施行されるため、これに向けて具体的な議論が重ねられ、イノベーションが起きているのです。

 

FishWiseが制作した、IU漁業とトレーサビリティ、人権問題の関係を解説したリーフレット

 

弱みを含め、継続的な情報発信こそがリスク対策

企業が社会的責任の課題に取り組もうとしたとき、どこから手をつけてよいかわからず、途方にくれることがあります。よくあるのが、使い慣れたツール、たとえば認証や監査に頼ろうとすることです。環境課題に取り組んできた企業なら、これらはいわば使い慣れたツールですが、社会的責任、特に人権問題や労働者保護では注意が要ります。

というのも、人権問題が「ない」と保証できる単純な方法は存在しないのです。せっかく社会的責任を果たそうと考えた企業が、こうした方法に頼ることで壁にぶつかってしまうこともあります。人間は、水産物とは違うのです。

――フィッシュワイズのウェブサイトでは、さまざまなツールを紹介されていますね。また単に改善するだけでなく、取り組みや結果を公表しよう、と強調されているのが印象的です。

企業の立場としては、都合の悪い情報を公開するのは、弱みをさらすように感じることもあるでしょう。しかしいろいろな例を見てきて感じるのは、宣言や情報発信の後、続報がないことが最大のリスクになるということです。問題を発見し、対応を取り、その結果がどうなったか……途中のプロセスを継続的に公表することで、誠実な取り組みをしていると評価されます。発信が足りないと、発見したリスクをそのまま放置しているのではないか、何もしていないのではないかと、取引先や投資家からみなされてしまうこともあります。

 

企業パートナーと開催したサステナビリティ研修で。中央が本人。サステナビリティ担当から、現場運営、調理、マーケティング、ブランド、購買、人事、広報まで幅広いメンバーが、水産物のサステナビリティをいかに自分たちの業務に組み込むかを議論した。サステナビリティ担当だけでなく、全社的に各部門の代表が参加することが重要。

 

 

>>>後編ではさらに具体的な活動について、また現在注力している、初めて人権ディーディリジェンスに取り組む企業のための手引きとして作成された「RISE(Roadmap for Improving Seafood Ethics)」について紹介いただき、日本企業への期待をお聞きします。

 

取材・執筆:井原 恵子
総合デザイン事務所等にて、2002年までデザインリサーチおよびコンセプトスタディを担当。2008年よりinfield designにてデザインリサーチにたずさわり、またフリーランスでデザイン関連の記事執筆、翻訳を手がける。