現代奴隷の被害者は世界で約5,000万人*1。この内、人身売買や賃金不払い、暴力、脅迫などの被害を受けながら強制労働を強いられている人が約2,760万人いると推定されています。水産分野も例外ではありません。最新のレポートでは、初めて漁業分野における被害者数が約128,000人という推定値が示されました。水産業における強制労働者は、物理的に陸から離れた船上で監視されて長期間働かされているなど、極めて確認が困難であることから、この統計は実際の数字よりもかなり低いものと指摘されている点に留意する必要があります*1。
こうした状況を改善すべく、2011年には国連から「ビジネスと人権に関する指導原則」が出されました。以後、欧州や米国を中心に、労働者の人権尊重を義務付ける法整備が進んでいます。
「ビジネスと人権に関する指導原則」は、人権を保護する政府の義務、人権を尊重する企業の責任、そして、人権侵害の是正を三本柱としています。企業が人権尊重の責任を果たすためには、サプライチェーン全体で人権侵害のリスクを特定し、予防・軽減・救済に取り組む「人権デューディリジェンス」への対応が欠かせません。
とはいえ、何をどう取り組んでいけばいいのか、どこから着手すればいいのかわからないことが多いのではないでしょうか。今回は、東京サステナブルシーフード・サミット2022でおこなわれたパネルディスカッション「水産物サプライチェーンにおける人権デューデリジェンス ―― その課題とチャンス」をもとに、国内外の企業の取り組みや国際的な連携による問題解決をご紹介します。
アメリカのNGO FishWiseのエリン・テイラーさんは、「人権デューデリジェンスには継続性とステークホルダーの関与が必要。実施の要請が高まっている」と指摘します。
目先の収益を得ようとして水産業界で問題となってきた過剰漁獲、無登録漁船による操業などのIUU(違法・無報告・無規制)漁業は、人権侵害と密接なつながりがあります。
英国のNGO Environmental Justice Foundation (EJF)の調査によると、取材した中国の遠洋漁業セクターで働く漁船員116名の97%が賃金の差し止めや、借金による束縛を経験し、また、8割以上が過重労働、劣悪な労働条件に苦しみ、さらに脅迫や身体的虐待を受けています*2。
EJFのシャオチー・チウさんは、「インドネシアの貧しい漁村の若者たちが、家族の生活を支えるために、エージェントの口車に乗せられて契約条件を知らないまま雇用契約書にサインしてしまう」という心の痛む事例を紹介しました。台湾政府は漁船員の身元、国籍などを毎年公表していますが、「公表される情報はまだ十分ではない」とチウさんは指摘します。
こうした状況に対し、英国のSeafood Ethics Action Allianceでは小売業者や水産業者が市場での競争関係を超えて協働して人権尊重に取り組んでいます。
同アライアンスでは、人権デューデリジェンスを強化するために、リスクアセスメントの改善ツールを作成し、企業に対するサポートやガイダンスを提供しています。また、政府の関与を促すべくアドボカシーとエンゲージメントに注力し、さらに、状況改善のために企業が投資できるように基金を設置しています。「日本市場、そして、日本企業ともさらなるコラボレーションの機会がある」と同アライアンスのアンディ・ヒックマンさんは呼びかけています。
英国を本拠に食品加工、包装、物流施設を運営するグローバル企業であるヒルトン・フーズ社は、2025年までの達成目標として「サステナブル・プロテイン・プラン」を策定し、その重要な柱として人権尊重に取り組んでいます。「ビジネス全体を通じてサプライチェーンに課題がありプレッシャーがかかっている」と同社のジュリア・ブラックさんは言います。
まず、自社の従業員の権利の保護に配慮したうえで、サプライチェーン全体を通じてサプライヤーと対話を重ね、広範に人権侵害のリスクの緩和に取り組んでいます。特にハイリスクのサプライヤーに対してはリスク評価を行っています。
日本の流通大手であるイオン株式会社では、「人権基本方針」や「イオンサプライヤー取引行動規範」を制定しています。これまでは一次サプライヤーを中心に人権に関するモニタリングに取り組んできましたが、「一次サプライヤーへの監査と改善活動だけでは限界があり、近年は人権デューデリジェンス全体のサポートに注力し、ステークホルダーとの対話を通じて様々な声が届く仕組みをつくっている」と同社の椛島裕美枝さんは言います。
また、同社にはサプライチェーンの川上にいる漁船員までなかなかアクセスできないという課題があり、ブランドオーナーとしての小売業者も責任を問われるようになった現在、対策としてMSC、ASCなどの認証取得に加え、認証制度のさらなる改善に参画するなど、人権に関する予防措置を講じています。
人権侵害に関係する水産物の市場への流入を防ぐには、人権デューデリジェンスにおける透明性がカギとなります。パネルディスカッションでは、「透明性があることによって、敵同士のように思えていた政府と企業の間に徐々に信頼関係を構築できる」(チウさん)、「船上での状況などの情報を得られるようになると、より難しい話し合いもできるようになる」(ブラックさん)、「労働者にとっての透明性の確保も必要」(ヒックマンさん)、「サプライチェーン全体がつながって、人権問題を“見える化”し、ステークホルダーが協働して対応することが重要」(椛島さん)など、透明性の向上についていずれのパネリストも重要視する見解を示しました。
EJF、Global Fishing Watch、シーフードレガシーなど7の組織、団体が運営理事を務めるグローバル・プラットフォームCoalition for Fisheries Transparency(CFT)が、2023年3月に「漁業の透明性に関する世界憲章」を発表しました*3。憲章には漁船員の労働情報を求める項目もあり、今後、労働者の人権尊重は世界スタンダードになると言えそうです。
労働者の人権尊重は、水産業だけではなく、さまざまな業界での取り組みが加速しています。これまで暗中模索の状態が長らく続いていましたが、昨今はさまざまな実践ツールが国内外で発信されています。
日本でも昨年9月に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が経産省から公表されました*4。また、テイラーさんは、人権デューデリジェンスの実施に役立つリソースとして、FishWiseが作成した無料のオンラインプラットフォームRISEや、WBAのシーフード・ステュワード・インデックスなどを挙げています。
こうしたツールの活用により、サプライチェーン全体での人権デューデリジェンスのさらなる強化が期待されます。