
人身売買、無報酬に近い低賃金、劣悪な環境での長時間の強制労働といった現代奴隷の被害者は世界で4000万人以上にのぼると推定され、水産業にも存在することが指摘されてきました。特にIUU(Illegal, Unreported, Unregulated; 違法・無報告・無規制)漁業の存在は現代奴隷との関連性が高く、国際的に問題視されています。
「一日に3時間しか眠らず働いた」「船は地獄だった」。3年前、東京サステナブルシーフード・シンポジウム2019で紹介された漁船員の生々しい映像は会場に衝撃を与えました。
その映像を提供したのが、タイの労働保護ネットワーク(※)(以下、LPN)です。LPNは、水産業における奴隷労働の被害者救出や労働者の権利向上のための活動に取り組み、必要な法律の制定などをタイ政府に働きかけてきました。LPNの活動に密着取材したドキュメンタリー映画「Ghost Fleet」(邦題「ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇」;以下、「ゴースト・フリート」)が、2022年5月28日から日本で上映されます。上映に先立ち、LPNの創設者でマネージャーのパティマ・タンプチャヤクルさんにお話を伺いました。
―― 奴隷労働の被害者救出に取り組むようになった経緯を教えてください。
私は大学卒業後、タイのコミュニティ・グループで働き、子どもの教育問題に取り組んでいました。現在の夫であるソンポン・スラカエウと出会って、移民労働者の人権侵害に関心を持つようになり、彼らへの差別的な扱いを解決するために、一緒に団体を立ち上げようということになりました。
それがLPNです。ILO(国際労働機関)からの資金援助を受けて、2004年12月24日に正式な団体として登録されました。当初はタイ中部のサムットサーコーン県の問題に重点的に取り組みました。タイ国内でもとくに多くの移民労働者が入ってくる地域だからです。スタッフ2~3人という小さな体制でスタートしましたが、正式な団体として認められたことによって、サムットサーコーン県だけでなくタイ全国へと取り組みを拡大できるようになり、人身売買の被害者への援助、人権侵害の実態の監視など、より多くの支援を提供しています。
―― LPNの共同創設者であるご夫妻はどのように役割分担をしているのでしょうか。
夫は人権擁護の主張などインフルエンサーとしての仕事が得意なので、政府との交渉に当たっています。私はどちらかと言うと現場の業務が好きで、資金や寄付を集めることも含めて、ほとんど何でもやっています。そして、移民労働者から電話がかかってきたら、救出のためにその現場に向かいます。
―― 移民労働者のための活動について、タイ国内の反応はいかがでしたか。
LPN設立当時は、周りから「なぜ、移民労働者を助けるのか? もっとタイ人の問題に力を入れるべきだ」と言われました。「あなたは本当にタイ人か?」と。
移民労働者の8割はミャンマー人で、その多くは人身売買で連れてこられた人たちです。2004年にタイの水産加工工場から400人の移民労働者を救出しました。そのうち50人は未成年で、中には10歳で連れて来られて8年間工場で働かされて18歳になっていた子もいました。
移民の子どもたちには教育や適切な保護などの基本的人権へのアクセスがほとんどありません。移民労働者はタイ国内で最も人権侵害の被害を受けている人たちなのです。
―― 漁船員の救出活動にはいつ頃から取り組むようになったのですか。
2008年頃から、助けを求める漁船員の声が寄せられるようになりました。港に取り残された人たちやインドネシアから戻ってきた人たちです。アンボン島やベンジナ島など、モルッカ諸島の海域で操業するタイ漁船から逃げてきた漁船員がたくさんいます。タイ人も、ミャンマーやカンボジアからの移民もいて、多くは人身売買でタイから連れて行かれた人たちです。
彼らは報酬もなく奴隷のように働かせられ、劣悪な労働環境で搾取され、船が補給のために寄港するチャンスを狙って命からがら逃げ出します。しかし、身分証明書もありませんし、再び奴隷として売られることを怖れて、モルッカ諸島に潜むホームレスとして不法滞在することになるのです。中には、現地の女性と結婚して居着く人もいますが、彼らの多くは故郷に帰りたい、家族に会いたい、と切に願っています。
彼らを助けに行きたいと思いましたが、それはとても難しいことでした。インドネシアの島々はタイから遥か彼方の遠いところです。なかなかうまくいかず、何年も試行錯誤しました。それに当時のタイには人身売買を規制する法律すらなかったのです。
―― 初めてインドネシアの現場に行かれたのはいつでしたか。
2014年の8月です。どうしても現場の状況をこの目で見なければと思い、渡航のための資金を集めて、バンコクからジャカルタへ、さらにジャカルタからアンボン島へ、飛行機を乗り継いで行きました。
それがLPNの最初の現地調査です。アンボン島での情報収集が目的でした。しかし、実際に行ってみると、6人のタイ人が助けを求めてきたのです。そこで、私たちは政府機関やNGOと連携して仮のシェルターをつくり、彼らに食べ物や寝泊りできる装備を提供しました。
さらに、助けを求める19人のミャンマー人漁船員をアンボン市内の入国管理局で見つけました。私たちは、彼らが帰国できるように努力しましたが、なかなか難しかったため、一旦タイに戻り、以来、タイとインドネシアを16回行き来しています。アンボンの入国管理局やインドネシアにあるタイ大使館と領事館、そして、タイ外務省やNGOや現地の人たちと連携して、救出・支援活動を続けてきました。
人身売買で連れてこられた人たちはタイの漁船で奴隷のように働かせられ、故郷に帰れないまま、インドネシアの離島にとどまらざるを得ないのです。2014年から2019年までの間に私たちが助け出した奴隷労働の犠牲者は3,000人にのぼります。
―― 3,000人ですか!
はい。大きなインパクトがありました。メディアにも取り上げられ、国内外で注目を集めました。そうでなければ、誰もこの問題を知らなかったでしょう。
―― タイの水産業界の企業の反応はどうだったのでしょう。
最初の救出活動の時、彼らは「それは事実ではない」と拒絶しました。翌年の2015年になると、「そういう悪い人間もいるかもしれないが、ほとんどは良い漁船だ。そんな話は例外にすぎない」と言いました。
―― LPNの活動で苦労したのはどんなことでしょう。漁業会社から脅されたことはありますか。
いつもです。漁船主たちは怒りをあらわにしました。タイでもインドネシアでも脅迫されました。IUU漁業や人身売買に関わる事業者は汚職にも手を染めています。大型漁船のオーナーはたいてい権力者たちに影響力とコネを持っているのです。ですから、救出活動は危険を伴い、私たちは常に状況をしっかり見極める必要がありました。
―― そのような困難をどのように乗り越えられたのですか。
最善の方法は、コミュニケーションと交渉だと思います。
漁船員が故郷に帰る手助けをすることは、雇用者や船主の責任であると伝えました。こんなにも家に帰りたがっている人たちを、私たちは助けに来ただけだ、あなた方の敵ではないと。
そして、各国政府に手紙を書いて奴隷労働の実態を伝えました。救出活動を始めて3年目の2016年、タイ政府はIUU漁業を規制する法律を制定しました。政府はこの問題を重視し、解決のために責任ある行動をとったのです。
2014年以来、タイ、インドネシア、ミャンマーなど各国政府やステークホルダーと連携してさまざまな取り組みを行ってきました。
―― コロナ禍で活動に影響がありますか。
全くありません。コミュニティの中で、タイ人たちにも移民労働者たちにも、より多くの支援を届ける機会になっています。確かにコロナ禍は危機ですが、それをチャンスにすることができるとポジティブにとらえています。
まだまだやるべきことがたくさんあります。今日はマレーシアのNGOと話し合う予定です。マレーシア近海で操業しているタイの漁船で労働搾取が行われている事案に対応するためです。
パティマ・タンプチャヤクル(Patima Tungpuchayakul)
1996年にタイのマハサラカム大学卒業後、バンコク北部の地元の工場所有者による移民労働者、特に女性と子どもへの虐待に気づき、人権問題に関心をもつ。2004年にソンポン・スラカエウ(Sompong Srakaew)氏と共同で労働権利推進ネットワーク基金(現・労働保護ネットワーク;LPN)を設立。タイ人の支援と保護、慢性的な人権侵害に対する認知度向上、移民労働者の生活改善や雇用に関する法改正のための活動に20年以上従事。現在もタイ周辺地域の海や陸で起きている奴隷労働の問題解決に取り組んでいる。
取材・執筆:井内千穂
中小企業金融公庫(現・日本政策金融公庫)、英字新聞社ジャパンタイムズ勤務を経て、2016年よりフリーランス。2016年〜2019年、法政大学「英字新聞制作企画」講師。主に文化と技術に関する記事を英語と日本語で執筆。