「環境や人権を大切にする、持続可能な企業や事業を応援しよう」「SDGs(国連の「持続可能な開発目標」)の達成を目指そう」。そうやって頑張る企業や事業者を、お金の面から応援しようという動きがあります。その一つが、国連下部機関などが発足させ、世界の大手金融機関が中心に計画している「自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)」です。
環境や人権を守ろう、という世間の流れの中ですが、お金を稼ぐため事業を行っている企業などの間には「そのせいで、事業をしづらくなったら困る」などと、不安に思う人もいます。例えば環境のため、温暖化を招く二酸化炭素の排出量を減らし、漁業資源を残すために乱獲を控える。人権のために、労働者の給料を安くしたり長時間労働を強いたりしない…そうすれば色々な事業がしばられ、お金が稼ぎづらく、会社の景気が悪くなるかもしれないからです。
とはいえ、環境や人権に配慮しない事業は、長い目で見れば社会をもっと混乱させかねません。環境が壊れて人類の食料や住む場所がなくなる、貧困にあえいだ人が犯罪に走ってでも食いぶちを得ようとしたり、移民になり他国の人と揉めたりする、などのリスクが生まれるからです。だからこそ環境や人権をないがしろにする事業は反対や規制を受けますし、将来も持続的に利益を上げられないのでは…と問題視されているのです。
持続的でない事業にお金を貸したり投資したりした人からすると、事業に利益が出ない、つまり出したお金を返してもらえないと困ります。むしろ、事業を持続可能に行い稼ぎ続けてもらってこそ、お金を返してもらえます。持続可能な事業が増えることは、世界の人が飢えたり貧困にあえいだりする危険を下げるだけでなく、長い目でお金の流れを守るのです。
そこで、今、ESG(環境・社会・企業統治)投資に注目が集まっています。ESG投資とは環境や社会の持続可能性を高めることなどを意識した投資の方法です。世界持続的投資連合(GSIA)によると、2020年現在で世界のESG投資の総額は35.3兆ドルと2年前比15%の伸び率で、世界の投資総額の36%を占めるまでに成長。日本単独だと、投資総額中のESGの割合は24%で米国やEUを下回りますが、2年前比の伸び率は34%と高水準でした。
加えて金融安定理事会(FSB:主要25カ国・地域の中央銀行や国際組織による組織)が主導しつくったのが「気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)」。気候変動を緩和するため、2017年、世界の大手金融機関群などと「各事業者は、気候変動の原因となる温室効果ガスの抑制目標やその進み具合、社内での監査体制などの情報を、どう開示すべきか」を整理したものです。EU(欧州連合)政府は、TCFDを基に企業の情報公開などを義務化。こうして「どの事業者が気候変動対策に協力しているのか」を見えるようにし、協力度の高い事業者に優先してお金を貸したり投資したりするのです。
このTCFDを手本に、気候変動でなく自然資本(例えば、大気、水、土地、鉱物、森林、生物多様性、生態系など)の保全を広く目的とするのがTNFDです。TNFDも「事業家側が環境にどう配慮すべきか、配慮の内容をどんな方法で開示すべきか」をまとめ、配慮の行き届いた事業を区別し、そこにお金を集められるようにします。
TNFDの取りまとめは2023年9月にも公表予定。TNFD本体の「タスクフォースメンバー」や、話合いを支える「TNFDフォーラム」には、日本からも大手金融機関や政府機関、企業群などが加盟しています。TNFDは2022年3月15日に資料を公開していますが、内容は大まかな枠組みだけで「具体的にどんな情報公開を求めるか」という分野ごとの基準は出ていません。
では、漁業はじめ水産業にはどんな情報開示が求められる可能性があるのでしょうか。世界自然保護基金(WWF)ジャパン(東京都港区)の橋本務太金融グループ長は「IUU(違法・無報告・無規制)漁獲物を売らせないためのトレーサビリティー(品物が誰から誰の手に売られていったか見えるようにすること)や、(魚の乱獲防止に必要な)漁獲対象魚種それぞれの資源量・漁獲量、プラスチックゴミを出させないための漁具流出対策、包装資材の使い方などといった情報は、ほぼ間違いなく求められる」と語ります。
橋本グループ長は「TNFDの議論は生物多様性条約と連動して行われている。この条約の議論では目標をつくるための案として『(漁業が乱獲をしていないことを証明する)合法的かつ持続可能な方法で生産されている割合、生物学的に持続可能な漁業資源の割合』『プラスチックゴミ密度』『(水質汚染を示す)富栄養化の可能性の指数』などが示されている」と説明。こうした要素がTNFDでも求められるだろうと予想しています。
TNFDでは、ITの活用も議題になる可能性があります。近年は、先進国だけでなく途上国でも、漁船にカメラや衛星測位装置を取り付けることで、漁をした回数や魚種別の漁獲量を正しく知り、魚の生息数を推定したり、漁船が漁獲量や海域などの制限を守っていると証明したり、同時に衛星通話で漁船から外部への連絡手段をつくる(奴隷労働させられた漁師が、外に助けを求められる)例が生まれています。ウソの漁獲報告や漁船の密室化が世界で問題となる今、漁船にITの導入・報告をどのくらい求めるかが焦点になります。
TNFDというヨーロッパ発の枠組みに対し、日本の水産業界では今後「どんな情報開示を求められ、その時どんな手間がかかるのか。日本の水産業に合わない措置を強制されないか。対応できない業者が投資や融資を受けられず資金を得られなくなるのでは」…こうした不安の声が出るはずです。
橋本氏は「TNFDフォーラムは非常に開かれていて、希望する関係者は幅広く話合いに入れる。枠組みができた後で仕方なしに従うのでなく、枠組みをつくる段階から、話合いに参加していくことが大切。論理的でさえあれば正々堂々、意見を言うべき」と力説します。
他国のIUU漁船の日本近海での水産資源の乱獲が取りざたされる今、それらと日本の漁業の違いを見せつけるチャンスとして、TNFDをみることもできます。日本の強みとしては「2020年の漁業法改正や日本に根づいた漁協制度で、漁業データの報告範囲は広がっている。このデータによって魚種ごとの豊富さや増減の理由、操業の合法性などの透明化が進む」ことや「(2021年施行の)水産流通適正化法で、流通網の透明化も進む。国内にIT企業も多いので、透明化に必要なシステムも開発普及しやすい」ことが挙げられます。
日本は歴史的に、地域ごとでの漁業の管理体制をベースに、元々、魚を獲り過ぎない枠組みをつくってきました。例えば、漁協や行政の定めた「資源管理計画」下の漁業が漁獲量の9割以上を占めます。実は、同計画は「形だけの効果検証しかしていないものが多く、乱獲を止め切れていない」と政府内外に批判されてきましたが、水産庁は2023年度までに同計画を最良の科学に基づきつつ定期的に更新・公表する「資源管理協定」へ更新予定。世界的には今まで、小さな漁船の数が多すぎると漁業管理は難しいとされてきましたが、これが日本で実現すれば、世界的な課題となってる小規模零細漁業の管理モデルとしてに誇れるものとなり、TNFDのようなお金の議論をする時も、日本が世界を引っ張る大きな強みとなるでしょう。
ヨーロッパ発のTNFDの仕組みですが、必ずしも「日本がのみ込まれる」と怯える必要はなさそうです。むしろ、「日本主導でノウハウを発展させ世界をリードする」、それによって日本の水産業の存在感を高めるチャンスにできる可能性も十分あります。TNFDで投資・融資を得るだけでなく、他国にノウハウを輸出する立場になれれば、日本の水産業の未来は明るくなるのではないでしょうか。