2022年10月19日、第4回「ジャパン・サステナブルシーフード・アワード」にて今回から新設された、30歳未満の個人・組織を主体とする取り組みを対象とするU30部門で、「京都・阿蘇海 ハマグリ資源管理プロジェクト」がチャンピオンに選ばれました。
全国で激減しているホンハマグリ、京都・阿蘇海においても2002年をピークにその漁獲量は減少の一途を辿っています。そうした中で京都・阿蘇海の漁師、村上純矢氏は「⼤好きな漁師という仕事を、祖父から引き継いだこの海でずっと続けたい」という思いから、22歳の時にハマグリの資源管理を組合に訴求しました。
そして京都府漁業協同組合溝尻地区運営委員会、京都府農林⽔産技術センター海洋センターとで連携し、2019 年より2年間の漁獲⾃粛を経て2021年からハマグリの資源管理をスタートさせました。海洋センターのアドバイスのもと、それまでの全⻑制限に代わり漁期設定や操業時間規制、さらに漁獲数量規制を⾏ったうえで、資源量の30−40%に達したら漁期中でも終漁する取り組みにより資源回復を⽬指しています。
今回は村上氏にプロジェクトの背景や、今後の水産業界に対して求めることなど、同世代である弊社インターンの長澤が取材しました。
村上純矢(むらかみ じゅんや)
京都府出身の25歳。3歳から祖父に連れられ阿蘇海へ漁に出る。中学卒業後には念願の漁師となり、19歳の時に独立する。溝尻地区最年少の漁師として阿蘇海刺し網や貝掘り、延縄、一本釣りなど様々な漁法で漁を行う。
22歳の時にはハマグリ資源管理の必要性を京都府漁業協同組合溝尻地区運営委員会に訴え、その後京都府農林水産技術センター海洋センターと連携しながら資源回復プロジェクトを進める。また神経締めの技術を磨くなど魚の高品質化と付加価値向上を目指している。
――受賞おめでとうございます。まずは、資源回復プロジェクトに取り組もうと思われたきっかけを教えてください。
村上純矢さん(以下敬称略):ただ単純にハマグリが目に見えていなくなったからですね。僕が知っている時代でも減少していたのに、それ以上に減ってしまいました。
そもそも阿蘇海という海は二枚貝がないと漁業はやっていけません。アサリ・オオノガイ・ハマグリが昔は豊富に採れていましたが、アサリとオオノガイ*1の漁獲量が次第に減少していきました。そして今までその2つを採っていた漁師たちがみんなハマグリを採り始めて、減少スピードが一気に加速しました。もうみるみるうちにという感じでした。
最後の砦であるハマグリも危ないなと思い、プロジェクトを始めました。
――阿蘇海で二枚貝がとれなくなっていった時期はいつ頃からですか。
村上:僕が小学校の頃は祖父が現役で漁師をしていて、一日20キロほど採っていました。バケツいっぱいで、砂よりもアサリの方が多いほどでした。ただ漁獲量の減少は止まらず、今年は隣の湾との共同区域でアサリの漁獲量が初めて0になりました。漁獲すると貝毒の検査が必要ですが、アサリを漁獲した時に必要な検査費用を考えて、採る必要がないという判断になったのだと思います。
ハマグリは、6年前くらいは1日50個から70個採れてたんですけど、4年前くらいから10〜20個とか一気に少なくなってしまいましたね。
――幼い頃からお祖父様と一緒に漁に出ていたとのことですが、印象に残っていることはありますか。
村上:「小さい貝や魚は獲ったらあかん」という祖父の言葉です。祖父はイワシを獲ったりいろんなことができるんですけど、アサリ掘りがメインでした。ただ当時ですでに採れる量は減っていて、祖父も資源管理をしたいという思いがありました。サイズごとのサンプルまで作って「小さい貝や魚を獲らないようにしよう」と話したそうですが、当時は受け入れられなかったみたいです。
ただ祖父自身は、小さい魚が逃げるような網を作るなどして資源保護を続けていました。そういったことをそばで見てきたので、僕自身は当たり前のことだと思っていました。
――資源管理をずっと見てきたという感じですね。
村上:そうですね。組合ぐるみではなく、うち単体で言うと、クロダイやスズキ、アサリとかで小さいものは逃すとかは当たり前の話だったので。何も特別感はないですけど。
――溝尻地区の漁業のメンバーでは村上さんと同じ年代の方はいらっしゃらないのですか?
村上:僕が一番若くて、一番近い年齢は父親じゃないですかね。同級生もほとんど地元から出て行っているので。だからみんな老眼です。
――そうなんですね。溝尻地区のみなさんでハマグリの資源量を推定するために、貝を台紙の上に置いて、最大殻長のところに穴を空けて漁獲情報を記録する、パンチングという作業をされているそうですね。
村上:はい。パンチングはみんな大変だなと言いながらも、プロジェクトには賛同してくれています。少しでも増えてくれれば良い、という思いで協力してくれているのかもしれません。
毎日掘りたいと言っている人もいるとは思いますけど。でも掘れん掘れん言っていた人たちが、陰では「よく資源管理をしようと言うてくれた」って声かけてくれる人もいたので。
――プロジェクトを進める中で苦労されたことはありますか?
村上:僕としては苦労してないです(笑)。確かに、初めて資源管理を呼びかけた2019年の京都府漁業協同組合溝尻地区運営委員会の総会では若干の反発が出ました。ただ割と他の人たちは「何か言うとるわ」くらいの感じで聞いてくれました。そのあと運営委員会から資源管理をしたいという要望を京都府に上げて、そして京都府農林⽔産技術センター海洋センター(以降:海洋センター)に協力してもらったという形でした。阿蘇海と京都府はつながりが深い関係で、京都府からの話はすんなり受け入れてもらえたんです。
――なぜ阿蘇海と京都府はつながりが深いのでしょうか?
村上:いろんな要因があります。もともと阿蘇海は天橋立によって宮津湾と隔てられている閉鎖性の高い海です。そうした特殊性もあって様々な調査を依頼されることがよくありました。それに加えて、アサリの稚貝を販売しているのですが、そもそも稚貝の販売をしている漁協がほぼないので、掘り方や選別の仕方から販路拡大まで京都府にお世話になっています。
――今回のプロジェクトを進める際、京都府農林⽔産技術センター海洋センターとはどのような経緯で協力してもらえるようになったのですか?
村上:僕たちが漁業をしている阿蘇海の反対側にある宮津湾で、先にナマコの資源管理が行われていました。ナマコも同様に漁獲量が激減したので、7年前からセンターによる資源管理が始まりました。
このとき資源管理を担当されている方が比較的年齢が近かったこともあって、仲が良かったんです。そして「ハマグリの資源管理をしないとまずい」と相談しにいったら、具体的な方針などについて話が進んでいきました。
後編では2年間の禁漁期間についてや資源管理後にお客さんからもらった驚きのリアクション、そしてこれからの水産業界に求めることなどをお話いただきます。
取材・執筆:長澤奈央