生態学には、生態系の全体を左右できる支配的な種「キーストーン種」がいるという考え方があります。これを産業にあてはめて、世界の水産業全体の行く末を左右する「キーストーン・アクター」の企業があるはずだという発想から、世界の水産物関連企業上位160社のデータの分析を進めた研究者らにより、2015年、わずか13社が世界の漁業生産量の11~16%のマーケットを担っていることが示されました。この研究者らの呼びかけに応じて、世界で上位の水産会社10社と科学者が連携し、より持続可能な水産物の生産および海洋の健全性向上を目指して2016年に設立された世界的なイニシアティブがSeaBOS (Seafood Business for Ocean Stewardship;シーボス)です。
SeaBOSに参加する10社の中に、日本有数の総合水産会社である日本水産株式会社(以下、ニッスイ)も名を連ねています。発足直後のSeaBOSにニッスイが加盟して以来、担当者として国際的な連携に携わってきたのがサステナビリティ推進部 担当部長の屋葺利也さんです。前編では、2016年前後、ニッスイで急速に活発になってきたサステナビリティへの取り組みについて、屋葺さんの視点から振り返ります。
屋葺 利也(やぶき としや)
栃木県生まれ。1984年東京大学農学部水産学科卒業、日本水産株式会社入社。以来大半は国内外の養殖関連業務に従事。海外養殖現場もチリ、インドネシア、アメリカ等で経験。ニッスイの子会社でチリにあるサケ・マス養殖会社サルモネス・アンタルティカ(Salmones Antártica S.A.)には通算13年駐在し、2012~2016年はCEOを務めた。2016年帰国。2019年よりCSR部(2022年3月よりサステナビリティ推進部に名称変更)担当部長。SeaBOSをはじめ、WBA(※1)、FAIRR(※2)等の国際ネットワークに対応して水産サステナブル関連を担当。
―― SeaBOS発足当時からニッスイでは屋葺さんがご担当なのですね。
はい。2016年の春にチリ駐在から帰任して、ニッスイ本社の養殖事業推進部の部長になって半年ほど経った頃、SeaBOSの話が出てきました。いきなり、11月にモルジブで会議をするということだったんですよ。SeaBOSにノミネートされた10社のCEOに来てくれというリクエストでしたが、日本の水産会社の社長が、よくわからない会議のために3泊もモルジブまで行くなんて、ありえないじゃないですか。「英語の会議だから、屋葺、行っといてくれ」という感じでしたね。
―― 屋葺さんご自身はSeaBOSの話を初めて聞いたとき、どう思われましたか。
その時は具体的なテーマもまだ決まっていなくて、モルジブでは、まず、SeaBOSをやる意義や何を目指しているのかについて、SeaBOSの事務局を務めていたストックホルム大学ストックホルム・レジリエンス・センター(SRC)のヨハン・ロックストローム教授などから話がありました。スウェーデンのヴィクトリア皇太子妃もご臨席で、MSCのCEOルパート・ハウズさんなどそうそうたる面々が出席していて、ああ、すごいところに来ちゃったなと思いました。
そこで話し合われた内容を私が本社に持ち帰って、社長や上層部に報告したところ、その年の12月、当時の細見典男社長が署名して、SeaBOSへの参加が正式に決定しました。当時も今も、水産サステナビリティに関する動きが日本では遅れていますが、どういうことが課題になっているのか、こういった世界トップのアライアンスに入っておけば、いち早く最先端の情報が入ってきますので、ニッスイにとっても重要だという判断になったのだと思います。
―― SeaBOS発足の頃には、ニッスイ社内でもサステナビリティに取り組もうという動きは始まっていたのでしょうか。
私は2016年に帰国したので、それまでの日本の動きは同僚から聞いた話の限りです。
以前のニッスイにはCSRの専任部署はなく、経営企画部門がCSR関連を担当していました。ちょうど日本国内でもCSRの取り組みがだんだん本格化していたタイミングでもあり、社内でも単なる社会貢献ではなく、事業と結びついた社会的責任にきちんと取り組まなければという考え方が出てきており、中期計画にも初めて「CSR」が登場しますし、CSR部もできました。その後、CSRを包含したサステナビリティに取り組むということで、この3月には部署の名称がCSR部からサステナビリティ推進部に変わりました。
―― 短期間で目まぐるしい変化ですね。
帰国してからの6年間で、社内でもサステナビリティという言葉をよく使い、よく聞くようになってきました。お客さまから要望をいただいていますし、SeaBOSからも情報が入ってきます。いろいろなことが総合されて、サステナビリティに関する動きがどんどん増えています。
―― サステナビリティの取り組みを組織の隅々まで浸透させていくのは大変なことですが、ニッスイではどのような体制になっているのでしょうか。
ニッスイ本社には、社長をトップにニッスイの全役員が参加する「サステナビリティ委員会」があり、その下に、水産資源持続部会や海洋環境部会など、執行役員をヘッドにした部会があります。各テーマについて、関係部署長も含めて各部会で議論して取り組みを進めていく体制になっており、トップからの流れが全体に伝わり、社内への浸透を早める助けになっています。
―― SeaBOSについて、社内外で理解してもらう上でのご苦労はありますか。
今でも知らない人が多いと思います。会社のサステナビリティ・レポートなどにSeaBOSの記載を入れて、少しずつ周知しています。私は、どちらかというと、最先端の海外の情報をニッスイに持ってくる役割ですね。
―― ニッスイには海外も含めると80~90のグループ企業がありますね。
全世界のニッスイグループの力を束ねて、ベスト・プラクティスなどの情報を共有すれば、サステナビリティをもっと効率的に進めていける気がしますが、まだこれからです。
―― SeaBOS発足と同じく2016年にニッスイが水産資源状態調査を最初に実施した背景を教えてください。
弊社のマテリアリティを特定して、その1つに「豊かな海を守り、持続可能な⽔産資源の利⽤と調達を推進する」ことを掲げたのが2016年でした。
企業として、水産資源に依存して事業を行っているのに、資源の状況を知らないこと自体が問題です。そこで、まずは自分たちの事業が水産資源にどういう影響を与えているのかを把握することが大事だという声が、先ほど申し上げた社内の水産資源持続部会から出てきまして、2016年に調達した水産物を対象に調査し、一年かけて、手探りでデータを分析し2018年に結果を公表しました。
―― 社内ではどのように受けとめられていたのでしょうか。
サステナビリティを確保するうえで、課題のある魚種の営業担当には若干ネガティブに捉えられたりしました。むしろ、外部からのポジティブな反響は、我々が想像していたよりよっぽど大きかったですね。ちょうど2018年のSeaBOSで、メンバー企業のCEOが集まる本会議が軽井沢で開催され、当時の的埜明世社長が調査結果を発表したら、賞賛の嵐でした。どれだけ難しいことをやったのかということが、業界の人はわかるわけです。
―― 2回目の調査では、やり方がずいぶん変わった印象があります。
1回目の調査には確認が難しいため、調査対象に入れられなかったのですが、弊社にとって取扱量が大きい魚粉や魚油も入れるべきだということで、2019年を対象とした2回目の調査にはそれらも含めたので、トータルの数量が100万トンぐらい違っています。
もう一つの違いはデータ評価の仕方です。1回目はFAOの公開資料などを見ながら自社で分類しましたが、やはり、第三者の評価でないと透明性がないので、2回目の調査ではサステナブル・フィッシャリーズ・パートナーシップ(SFP)に依頼して、フィッシュ・ソース(FishSource)のスコアで評価を出してもらいました。
―― 2回の調査を経て社内の理解も進んでいるのでしょうか。
進んでいると思います。調査をして終わりではなく、得られた結果から、今、我々が調達している水産資源について、どこに問題があるのかが明らかになり、どう取り組んでいくべきかが決めやすくなります。そのための調査だと思っています。フィッシュ・ソースのスコアでは71%はちゃんと管理できている資源からの調達という結果でしたが、なかには絶滅危惧種も入っていますし、魚粉や魚油などは、どの魚種が混ざっているのか内訳がよくわからないものまであるんですよ。
資源管理に問題がある魚種については、MSC認証漁業に切り替えていくとか、その漁業自体のサポートを強化して、MSC取得に向けたFIPを実施していくとか、いろんな策があるわけです。これから社内の関係する部署でいろいろ話しながらやっていかなきゃいけない。簡単じゃないですけど。
―― フィッシュ・ソースのスコアには、人権に関わる項目なども入っていますか。
いえ、あくまでも漁業管理上のコンプライアンス項目であって、明瞭に人権としては含まれていません。ですから、IUU漁業や強制労働については別の方法でチェックしていく必要があります。
―― IUU漁業対策はSeaBOSのタスクフォースの中にも入っていますね。
はい。各社苦労しています。自社のオペレーションにIUU漁業や強制労働がないことが昨年の目標で、10社とも達成できましたが、問題はサプライチェーンですね、ティア 1(一次サプライヤー)やティア2(二次サプライヤー)までチェックできるようにしていく目標を段階的に進めています。
―― SeaBOSに参加して良かったのはどんなところでしょうか。
SeaBOSは大手水産10社が参加していることに加えて、SRC(ストックホルム・レジリエンス・センター)などの科学者たちも参画しているので、企業の論理だけではなく、科学者の視点からのアドバイスも参考にできます。
テーマによっては、日本ではまだ全然聞いたことがなくて、え?これ何?という話を英語で理解するのが大変ですが、SRCなどの科学者にもう少し教えてほしいと頼むと本当に親切に情報を提供してくれます。
SeaBOS参加10社の中で、たとえば、養殖の情報だったらモウイやセルマックといった養殖専門の会社に問い合わせれば、すごく親切に教えてくれます。ワールドワイドのネットワークのメリットは大きいですね。
―― 加盟企業間でうまくコミュニケーションを取っておられると。
ええ。日本企業は、マルハニチロさん、極洋さん、弊社の3社がSeaBOSに参加しています。以前は、国内で水産大手3社が情報共有や意見交換のために会うようなことはあまりなかったと思いますが、SeaBOSに加盟して以来、マルハニチロさんや極洋さんの担当者たちと、SeaBOSのテーマについて気軽に話し合う機会が増えています。
―― 国内企業同士の連携も強まったのですね。
官庁との関係でも、たとえば水産庁に各社個別に行くより3社一緒に訪ねて「我々の考えを聞いてください」と言うほうが、先方にとってもインパクトがありますよね。SeaBOSの一つの効用だと考えています。
―― IUU漁業以外に、SeaBOSで重点的に取り組んでいる課題がありましたら教えてください。
養殖現場における抗菌剤の削減に取り組んでいます。特に、人間の治療に使う抗菌剤と重なるため、なるべく使わないようにWHOで規定された薬剤(Critically Important Antimicrobials =CIA)を使わないという目標を立てようとしているのですが、日本の場合は、養殖現場で国に認可された抗菌剤の一部はWHOのCIAに分類されており、しかもそれに代わる効果的なワクチンや薬剤がないので、非常に難しいところです。
このままではいけないので、SeaBOSに参加している日本の3社では、製薬会社や行政当局とも情報交換して理解を得ながら、新しいワクチン開発を進めるためのプラットフォームをつくろうとしているところです。(後編に続く)
取材・執筆:井内千穂
中小企業金融公庫(現・日本政策金融公庫)、英字新聞社ジャパンタイムズ勤務を経て、2016年よりフリーランス。2016年〜2019年、法政大学「英字新聞制作企画」講師。主に文化と技術に関する記事を英語と日本語で執筆。