今教えている立教大学の社会人大学院で話をするとき、生物多様性や気候変動の話がなかなか響かない人でも、「魚が食べられなくなる」と言うと顔色が変わります。いちばん響くのは魚の話なんです。
──それは意外です。なぜでしょう?
魚はみなさんの生活に密着しているからです。そして、こんなにひどい状況になっていることを、ほとんどの人が知らないからです。
気候変動が起きていることは、みんな何となくわかっていますよね。熱中症が増えているとか、台風や水害とか。でも魚がこんな状況だとは、そして日本人が状況を悪くしてきたということは、知らないんです。だから衝撃を受けるんです。
実は投資家にESG投資の話をしても、魚の話がいちばん受けます。気候変動の話をしても「そういうのは統制できないんですよね~」と言っていた人が、魚の話をすると「えっ、じゃあ僕には何ができますか!」となる。魚の話は日本人にいちばん効くキラーコンテンツなんです。
環境をテーマに企業の投資のことを長年やってきましたが、昨年、ESG投資の開拓については私なりの役目が果たせたと思って、次の課題に取り組みたいと考え、証券会社を離れました。それが「食」であり、食から消費者を変えることです。
──ご自身も昔から「食」に興味をお持ちだったとおっしゃいました。
「食」は、誰ひとり関係のない人がいません。これほど誰もが、毎日考えることは他にないでしょう。
人間の歴史は「食」が作ってきたと言っても過言ではありません。コロンブスが新大陸を見つけたのも、コショウのためでした。植民地も奴隷制も、全部もとをたどれば「食べるもの」に行き着く。戦争もそうです。”You are what you eat”、つまり「食は人をつくる」と言いますが、何を食べてきたか、これから何を食べていくかは、人間なら誰でも自分ごとなのです。
ただ、食品業界にかかわる前から思っていたことですが、正直、日本の食品会社はすごく遅れています。それは国内市場だけが相手だから、そして日本の消費者の意識が遅れているからです。
これは世界とかなりギャップがあって、欧米からだいたい5~6年遅れています。エコやオーガニックに対する認知も、フェアトレードもそうです。2011年にマクドナルドが各国でフィレオフィッシュにMSC認証をつけ始めたとき、日本はかなり遅れました。欧米ではMSC認証が消費者に知られて、価値になっていたけれど、日本はそうではなかったからです。でも2015年以降は急速に変わってきています。
──昨年から不二製油に移られて、その点いかがですか?
不二製油が扱っているのはパーム油やカカオなど、環境破壊の元凶とも言われてきたものです。だからこそサステナビリティへの取り組みを大事にしていて、日本の会社としてはかなり進んでいる方です。
それと、大豆タンパクを使った大豆ミート、大豆バター、大豆チーズなどを作っていますが、こういう代替食は、これからの食文化をつくっていくものでもあります。未来の食を植物由来の原料でつくる事業ですが、技術系の会社で、上手な発信には不慣れです。そのあたりをお手伝いしたい。見せ方とコミュニケーションのサポートができれば、と思っています。
金融機関や法人はルールでコントロールできます。でも個人は縛れません。SDGsも、ESG投資も、消費者が変われば企業もすぐに変わる。でも、いちばん変わらない、いちばん難しいのが個人なんです。だから今度は、消費者を変えることに取り組みたいと思っています。食は誰にとってもいちばん身近なことです。だからこそやりがいがあります。
このままいくと将来、私達の食事の大半は植物由来になり、肉は1割も食べられなくなります。そのとき今まで利用していなかった植物、ナッツ、昆虫、魚にどうシフトしていくか。世界的に見ると人間は肉食に偏っていましたが、今後は肉以外のタンパク源が求められます。そこで海に目を向ければ、高タンパクでヘルシーなタンパク源がある。しかし海の資源も危うくなっているのが現実です。
実は日本だけでなく世界全体でも、他と比べて海の問題への取り組みは遅れています。それは「SDGs報告」などのレポートにも表れています。
──どうしてでしょう?
やっぱり人が住んでいるのは陸だからでしょう。海の中は見えないからよくわからない、資源枯渇と言われてもピンと来ない。海に囲まれた日本で、海に面している地域の人も、あまり海のことを気にしていません。
海辺の地域ですら海が遠い存在になり、以前よりも魚を食べなくなって、魚屋さんも減りました。昔は近海ものの魚をよく食べていたけれど、近年ではマグロとかウナギとか、特定の魚種ばかり人気が高くなってしまったことが資源枯渇にもつながっています。
地方創生も言われて久しいけど、地方がすたれてきたのは、漁港がすたれたことが大きな一因だと思います。「日本全国津々浦々」と言いますよね。津々浦々を結んだネットワークがあり、港ごとに魚が獲れることが産業になっていたのに、それがなくなってしまった。
日本の漁獲量のピークはたしか1980年代半ばで、そこから急に減っています。お金になる魚はどんどん獲っていなくなり、じゃあ他にどの魚を食べようか、と言っている間にも、温暖化でもといた魚もいなくなる。悲しい現実です。
──でもそれが、一般の日本人にはあまり身近な問題として伝わっていませんね。
魚を食べなくなって接点が減ったこともありますが、問題があるなら「じゃあ何をすればいいのか」が見えないことも、自分ごとにしにくい理由だと思います。それならMSC認証の魚を選びましょうとか、何をどうすればよいかのアクションを教えてあげる必要があります。
それもやりやすさ、選びやすさが大事です。未利用魚がいいと言っても、ローカルなものなので出会えなかったりします。MSC認証の魚もまだ選択肢が少なすぎます。もう少し選択肢が増えて、誰でも選べるようになってくれたら。鮮魚は出会いづらいので、缶詰や加工品が増えてくれたら。MSCだけでなく他にも選択肢を教えてもらえたら。そして、説明がほしいのです。
未利用魚を出すレストランでお話を聞くと、おいしくないから未利用だったわけではない。さばきづらいとか、すぐ傷むから流通に乗りにくいとか、さまざまな理由で使われてこなかったとわかります。そういう説明を聞くと、なるほどと思うし、それで資源状況に問題なさそうなら、積極的に食べていけばいいなと思えます。
一発で多くの人に知らしめることは無理なので、そういう活動を重ねていくしかないと思います。そうして、知る人がだんだん増えてくればいい。上流からも下流からも、あらゆることを同時多発的にやらなければ、前進できません。子どもの給食でも、回転寿司でも、いろいろなアプローチの可能性はまだまだたくさんあります。
河口 眞理子
立教大学特任教授、不二製油グループ本社CEO補佐。2020年3月まで大和総研にて、サステナビリティの諸課題について、企業の立場(CSR)、投資家の立場(ESG投資)、生活者の立場(エシカル消費)の分野で20年以上にわたり調査研究、提言活動を行ってきた。現職ではサステナビリティ学についての教育と、エシカル消費、食品会社のエシカル経営にかかわる。
取材・執筆:井原 恵子
総合デザイン事務所等にて、2002年までデザインリサーチおよびコンセプトスタディを担当。2008年よりinfield designにてデザインリサーチにたずさわり、またフリーランスでデザイン関連の記事執筆、翻訳を手がける。