ASC認証でマーケットと共にサステナブルな養殖業を育てたい(前編)

ASC認証でマーケットと共にサステナブルな養殖業を育てたい(前編)

2010年に設立された非営利団体ASC(水産養殖管理協議会)は、認証制度を通じて、責任ある養殖を認定し、水産物市場の持続可能性に向けた変革に寄与する取り組みを行ってきました。

ASC認証の日本での普及活動に取り組んでいるのが、ASCジャパン ジェネラル・マネージャーの山本光治さんです。学生時代から世界の養殖の現場に飛び込み、また、国際機関の職員として各国で養殖事業の改善に取り組んだ山本さんが、2017年にASCジャパンの立ち上げに至る軌跡を伺いました。

 

山本 光治(やまもと こうじ)
1978年茨城県生まれ。英国バンガー大学海洋生物学部卒、豪州ジェームズクック大学にて水産養殖学修士過程修了。2005年よりアジア太平洋水産養殖ネットワーク(NACA)にて、2010年より国連食料農業機関(FAO)にて、水産養殖職員としてアジアやアフリカなど20カ国の養殖現場での事業に従事。2011年に発行された「FAO養殖認証技術ガイドライン」の事務局を務めた。2017年よりASCジャパンの代表として国内の市場と養殖場におけるASC認証の普及を通じて環境と社会に配慮した責任ある養殖業の拡大に務める。

 

高校卒業後、世界の養殖の現場へ

―― イギリスの大学への進学は思い切った決断でしたね。

生まれも育ちも日本で、日本の大学も受験して、国内か海外か悩みましたが、海外に出てみたいという気持ちが勝って、最終的にはエイッ!と。両親のサポートも有り難かったです。

釣りやマリンスポーツが好きで、専攻は海の分野を選び、そこで養殖に興味を持つようになりました。これから伸びる業界で、自分の養殖場を持ちたいと思ったんです。

卒業後3か月間、隣のアイルランドでカキの養殖場に住み込みで働いてから、オーストラリアの大学院で養殖に特化した修士課程に進みました。パイプの配管や養殖場の設計など技術的なプログラムもある実践的な修士です。大学院に通いながら、現地のザリガニやバラマンディの養殖場でも働きました。

修士が終わる2005年に就職先を探し、オーストラリア国内のエビの養殖場と、太平洋の真ん中で熱帯魚を養殖する施設と、タイのNACA(アジア太平洋水産養殖ネットワーク)という国際機関の3つからオファーをもらった中で、NACAに決めました。

―― 国際協力の仕事に進まれたのですね。

エビ養殖の現場で生産者に技術指導や魚病対策、輸出に関するサポートをするという仕事は面白そうだなと思って。東南アジアには行ったことがなかったですし。

 

アジアで見た養殖の現実

―― 初めてのアジアでNACAの仕事はいかがでしたか。

タイ、インドネシア、バングラデシュ、インドなどの現場に入りました。ちょうど、国際機関やNGOが連携して、エビの養殖業界をなんとかサステナブルに変えようという動きが激しくなっていた時期です。NACAはFAO(国際連合食糧農業機関)と連携してさまざまなプログラムを実施していましたし、WWFなどの国際NGOも活発でした。

インドネシア、アチェ州のエビ養殖場にて。NACAの職員として携わったスマトラ島大地震の復興プロジェクトのパートナーと一緒に。(写真提供:山本光治)

 

2006年頃からWWFが中心になって円卓会議が開かれました。生産者、政府関係者、企業関係者などが一堂に会して、どうすれば養殖業界がより良くなるか、議論し続けたのです。エビの養殖は主にアジアでしたが、アフリカやほかの地域でも、ほかの魚種でも、まさに世界各地で円卓会議をやっていました。

バンコクで開かれた円卓会議に、ステークホルダーとしてNACAから参加した時、南アジアのコミュニティを代弁するNGOのものすごい発言ぶりに衝撃を受けました。環境面でも社会的にも、エビの養殖の現場はひどい事態になってしまっていると。

―― 養殖業の負の面ですね。

もちろん、学生時代に養殖の良い面・悪い面は授業で聞いて、たとえば、エビの養殖のためにマングローブ林が伐採されるといった話を知識としては知っていましたが、現場で実際に被害を受けた人の声や、そういう人たちと一緒に活動しているNGOの人の発言は、教室で聞く講義とは重みが全然違います。

 

サステナブルな養殖のガイドラインづくり

―― サステナブルな養殖を意識するようになったのはその頃からでしょうか。

“サステナビリティ”という言葉自体はあまり使っていませんでしたが、東南アジアには小規模でリソースの少ない養殖業者が多いので、彼らがいかに生計を成り立たせて生産力を上げられるかを考えると、いろいろな点で改善が必要でした。環境もちゃんと管理して育てないと、結局は自分の生産にはね返ってきます。

たとえば、何百という小さな養殖場が同じ水路を共有している中で、上流の方で魚病が発生して病気のエビを水路に流してしまうと、その下流では、水と一緒に病気も自分の養殖場に入れてしまい、本当にひどい状態になるわけです。コミュニティで協力し合って水の使い方をコーディネートするとか、シンプルな工夫で改善できることがいろいろありました。

東南アジアの国々には日本の漁協のような組織は少なくて、零細な養殖業者がバラバラでした。グループ化すれば、魚病を防ぐことができるし、生産力が上がり、飼料もグループで買うと単価が安くなります。生産量もグループで集めれば大きなボリュームとして加工場に直接販売できますし、マーケティングもしやすくなります。そういう実践が先で、サステナビリティというコンセプトは後からついてきた感じですね。

現場でいろいろ取り組みながら、「FAO養殖認証技術ガイドライン」づくりのプロセスにNACAの立場で参加しているうちに、機会に恵まれ、2010年にローマにあるFAOの本部に移りました。FAOでは事務局として、各国の水産庁やステークホルダーを集めたミーティングを運営し、ガイドラインを書く作業にも携わりました。

 

国際機関の職員からASCへの転身

―― 2011年のガイドライン発行と前後して、2010年に国際NGO 世界自然保護基金(WWF)、オランダの持続可能な貿易を推進する団体であるIDH(Dutch Sustainable Trade Initiative)の支援を受けてASCが設立されました。その後、山本さんがASCに移られた経緯をお聞かせください。

FAOのような国連機関の主なアプローチは、国際ガイドラインの策定など、加盟国とともに業界の方向性を定めることです。ガイドラインの策定以外にも、たとえば、アジアやアフリカの国々での技術支援プロジェクトにも関わりましたが、やはり、基本的な任務は、加盟国政府機関の取り組みをサポートすることなので、ビジネスに関連する部分からは少し遠いわけです。

 

FAO時代に携わったザンビアの稲作と淡水養殖のプロジェクトにて。(写真提供:山本光治)

 

先ほど養殖業者をグループ化すればマーケティングがしやすくなると言いましたが、実際にはFAOの立場からは、その部分に働きかけるのは難しいんです。例えば食品安全に関連した養殖管理事項であれば、まさに各国政府がやるべきことですから、生産者に対して指示もできますが、マーケティングは民間の仕事です。政府が「このエビを買え」とは言えませんよね。

プロジェクトを任される中で、ビジネスの部分がどうしてもつながりづらくて、何か違うアプローチはないかと模索していました。その意味で、ASC認証は、まさにマーケットの力を上手く使った認証制度です。たまたまインターネットで、「ASCのオフィスを新しく日本で立ち上げるための経営職募集」という案内を見て、面白そうだ!と直感して応募しました。

 

ASCジャパン立ち上げから5年

―― 日本で本格的にASC認証の普及が始まったのは、2017年に山本さんがASCジャパンを立ち上げてからということになりますか。

いえ、それ以前にも、WWFジャパンがASCの活動をサポートしていましたし、流通に必要なCoC認証は、MSCのオフィスでカバーしていました。

2014年にイオンがASC認証の商品を導入し、一部の水産業者でも取り扱いが始まっていました。まさに日本でサステナブル・シーフードのマーケットが少しずつ広がってきた時期だったのです。オリパラ(東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会)も決まっていましたし、生産現場でも、震災後の宮城県志津川漁協のカキの養殖場が、2016年に国内初のASC認証を取得するなど変化がありました。

コロナ禍のためオリパラは結果的にいろいろと構想していた活動を実現できず残念でしたが、SDGsの推進や漁業法の改正など、ここ数年、ものすごい勢いで世の中が動いている気がします。ASC認証を使う水産会社などが一気に動き出し、生産現場でもASC認証を取得する養殖場や魚種が増えています。

―― ASCジャパン立ち上げから5年ほど経っていかがですか。

今は3人体制で、私が全体を見ながら主に生産現場を担当し、企業回りなどマーケットの部分を任せるスタッフと広報担当スタッフがいます。

 


東京サステナブルシーフード・シンポジウム2018に登壇した山本さん

 

事務所の立ち上げから2年ぐらいは一人で何をすればいいのかわからないといった苦労はありましたが、自分は恵まれているといつも感じます。たくさんの組織や団体のパートナーの方々が、私が日本に来る前から動いてくださっていて、世の中の流れとパートナーの方向性がここまで一致するとは、本当に感謝しかないですね。

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取材・執筆:井内千穂
中小企業金融公庫(現・日本政策金融公庫)、英字新聞社ジャパンタイムズ勤務を経て、2016年よりフリーランス。2016年〜2019年、法政大学「英字新聞制作企画」講師。主に文化と技術に関する記事を英語と日本語で執筆。