世界のニッスイも奮闘!持続可能な水産業を目指すイニシアティブSeaBOSの最前線(後編)

世界のニッスイも奮闘!持続可能な水産業を目指すイニシアティブSeaBOSの最前線(後編)

世界のトップ水産企業10社と科学者たちが連携して、より持続可能な水産物の生産および海洋の健全性向上を目指すイニシアティブSeaBOS(Seafood Business for Ocean Stewardship;シーボス)。前編では、SeaBOSのメンバー企業である日本水産株式会社(以下ニッスイ)で、発足直後からSeaBOSを担当してきたニッスイの屋葺利也さんに、ニッスイのサステナビリティ推進の取り組みを振り返っていただきました。(<<<前編を読む

後編では、ニッスイで通算17年間、海外の養殖現場での駐在を経験した屋葺さんだからこそ、現在はSeaBOSをはじめとする国際連携の最前線で日々奮闘しながら感じている水産業界の課題を語っていただきます。

 

海外での仕事に憧れて

―― 新卒で日本水産に入社して以来、ニッスイ一筋だそうですね。

はい。海外で仕事をしたいという希望があって総合商社を目指していましたが、当時はいわゆる「商社冬の時代」だったため、断念して進路変更しました。水産学科だったので水産会社かなと。

―― 水産学科に進まれたのはなぜですか。

生物が好きだったので農学部に進学し、その中でいろいろオプションがありましたが、自分の持ち点とかの兼ね合いで(笑)。もちろん、魚も釣りも好きですよ。

 

「Five Star」ブランドで有名なチリのサルモネス・アンタルティカ社で養殖されたトラウトを掲げて(写真提供:屋葺利也)

 

―― 生き物全般に興味があったと。

はい、大好きです。だからチリでは大きなホワイトシェパードを飼っていました。馬を飼っていたこともありますね。

―― へーえ、馬ですか! 海外で仕事をしたいという希望はニッスイで叶えられたのですね。

ニッスイの中にもいろいろな仕事がありますから海外に行くとは限らないんですけど、年に一度、希望を出すときには毎回毎回「海外」と書き続け、入社して5、6年目だったと思いますが、アメリカのメイン州に行かせてもらいました。

元々、海外で仕事をしたいという希望があったので、今まで通算17年ぐらい海外勤務しましたが、僻地ばっかりなんですよ。たとえば、インドネシアではセラム島という、ほとんどパプアニューギニアに近い島にいました。

周りの人は「大変だったね」とか「大変だろうね」とか言うんですけど、僕は好きな海外で仕事ができて、あまり大変だった記憶はないんです。海外でも大きな都市だと日本人が大勢いて日本人同士つるんじゃいますけど、僻地であればあるほど、現地の人たちと一緒に仲良くやっていくしかない世界でコミュニケーションが密になり、中身の濃い海外生活が送れたんじゃないかと思います。

チリの養殖現場に通算13年

―― 海外の養殖現場で一番長かったのはチリでしたね。

ニッスイ子会社のサルモネス・アンタルティカ社に3回赴任して、駐在期間の合計が13年ちょっとですね。養殖現場は南の方です。南半球だから南に行くほど寒いんです。第11州のプエルトアイセンや第10州のチロエ島に駐在していました。

 

チリ・アイセン地区のサルモネス・アンタルティカ社の海面養殖場(写真提供:屋葺利也)

 

―― ご家族も一緒だったのですか。

2回目の赴任は家族で行きました。周りに日本人がほとんどいないド田舎のプエルトアイセンです。子どもたち2人は現地校に入れたら4年間でスペイン語ペラペラになったんですけど、今度は日本語が怪しくなってきたので、残りの2年間は家族だけ日本人学校がある首都のサンチャゴに移って、私はチリ国内で単身赴任でした。

―― それはそれでご家族も苦労がありましたね。

幸い、うちの家族はみんなエンジョイしてくれて良かったと思いますね。娘もチリで覚えたスペイン語が好きだったので、日本に帰ってからもスペイン語を続けて大学のスペイン語学科に行きました。

―― 海外ではすでにサステナビリティへの取り組みが進んでいたのでしょうか。

少なくとも、私が駐在している間はあまり意識の中になかったですね。チリで銀鮭やトラウト、以前はアトランティック・サーモンも養殖して、3分の2ぐらいは日本向け、残りは他の国に輸出する仕事でした。欧米のお客さまからサステナビリティに関する要望があれば、当然我々も対応するわけですが、今問われるようなサステナビリティの取り組みはまだあまりなかった気がします。

それでも、養殖環境のためのチリ政府の取り組みは、日本に比べて数段進んでいると思いました。たとえば、一つのエリアに属する養殖会社に対して、魚を養殖してはいけない期間を設けることによって魚病や寄生虫の伝播を防ぐという措置がありました。

―― チリでのご経験はどのように生きていますか。

最初に赴任した1990年は、ニッスイがサルモネス・アンタルティカ社を買収して1、2年目で、年間生産量が千トンもいかなかったのが、今は3万トンぐらいになりました。チリ全体のサーモン養殖業界もすごく小さかったのが、今は80万トンを超えています。

 


3回目のチリ赴任時、サルモネス・アンタルティカ社のCEOとして、同社飼料工場関連施設の開設記念式典でテープカットする屋葺さん。(写真提供:屋葺利也)

チリのサーモン養殖の黎明期から成長したところまで見届けられたことは、私にとって大きな宝です。今はサーモン養殖と関係ない仕事をしていますが、事業を見てきた経験の蓄積はほかのことでも生きているかなと。

 


4年間CEOを務めたサルモネス・アンタルティカ社。2016年日本に帰国する直前の送別会にて同社のチリ人幹部たちと。前列左から3人目。(写真提供:屋葺利也)

SeaBOSの場で感じる課題

―― SeaBOSの会議はどのように開催されているのですか。

CEOが参加する本会議が年一度、秋にあります。コロナ禍の影響でここ2年ほどはオンラインで開催されました。今年は10月に今のところオランダでやる予定になっています。その準備のための実務者レベル会議を5月にストックホルムでやりました。

あとは、6つに分かれているタスクフォースごとに10月の本会議などに向けて、ウェビナーやウェブ・ミーティングを開催して準備を進めていくという形ですね。

―― 今まで5~6年やってこられて大変だなと感じるのはどんなところでしょうか。

SeaBOSのメンバー企業は10社とも水産関連の企業ではありますが、業種・業容・業態が全然違うんです。たとえば、カーギルやスクレッティングは養殖用の飼料メーカーで、モウイとセルマックはサーモンの養殖会社。日本の3社は総合的な水産会社です。ですから、SeaBOSとして一つの目標を設定するとなると、やはり、温度差や難易度が全然違ってくるんですよね。

事務局はすぐに何か数値目標を、しかも、タイムフレームをつけた目標を設定したがるんですが、メンバー企業の中でも、1年で達成できるところもあれば、5年かかるところもあります。なかなか10社揃ったカッコいい目標を出せなくて、いろいろ議論したり調整したりしながらやっていくのが難しいなと思いますね。

それから、共同のコミットメントや目標を出すときに、企業文化やメンタリティの差が出てきます。欧米の企業は希望も込めてコミットメントを出すところが多くて、達成できなくても「いや~できませんでした。理由はこうです」と発表して次に進む。しかし、日本企業は100%達成できる自信がないとコミットメントをなかなか出しません。最初のうち、そういう日本企業の文化がなかなか理解されなくて、いろいろ説明しましたが、最近は事務局の人たちも前よりはわかってくれているようです(笑)。

―― 「キーストーン・アクター」のグローバル企業が連携する意義は大きいですね。

その成果がSeaBOSの中だけではなく、水産業界に波及していくのが重要だと思うんですね。SeaBOSだけが良ければいいのではなく、SeaBOSの外の水産企業も、SeaBOSで達成できたこと、今やろうとしていることについてきてくれるとか真似してくれるとか。そうすれば、業界全体でムーブメントの考え方がどんどんつながっていくと思うんです。その意味でも、最新のタスクフォースとして「コミュニケーション・タスクフォース」が立ち上がり、SeaBOS外とのコミュニケーションの強化が議論されています。

 


2022年5月、ストックホルムで開催され、スウェーデンのヴィクトリア皇太子妃(前列右から3人目)もご臨席されたSeaBOS実務者レベル会議に出席した屋葺さん(前列右端の椅子)。Photo by Eva-Lotta Jansson, Azote Library

 

―― 具体的な発信方法なども検討されているのですか。

SeaBOSのウェブサイトが今はほとんど英語だけなので、外部の方にSeaBOSのことを伝えるために、重要な部分については他の言語、日本語とかタイ語とか韓国語とかスペイン語への翻訳を進めようとしています。

それから、水産関係の国際会議への参加にも力を入れています。SeaBOSの認知度も高まってきているので、パネルディスカッションへの登壇など、外部からの働きかけも増えていると思います。

水産業界全体を巻き込んでいくには

―― 海外駐在のご経験を生かして、今はSeaBOSを中心に水産サステナビリティの推進に取り組んでおられる中で、水産業界にどのような課題を感じておられますか。

地球温暖化など、いろいろ環境変化があり、たとえば、サンマが全然獲れないとか、イカが全然獲れないとか、ブリが北海道で定置網に入るとか、異常事態が起こっているじゃないですか。だから、我々が想像している以上に悪い方向への変化が進んでいることを危惧しています。

SeaBOSの気候変動のタスクフォースで、科学者の先生たちが、1.5度基準や2.0度基準の説明をして今この対策をやらないと大変なことになると言われるわけですね。最近の日本近海の漁業の状況を見ると、本当に危機感を覚えます。まずは水産業界の人たち、そしてステークホルダーの人たちが真剣に考えて、改善に向けてのアクションを起こさなきゃいけないと思います。

だからニッスイとしては、SeaBOSの活動にしても水産資源状態調査にしても、これからも愚直にきちんとやっていかなければと思います。

水産資源状態調査に関して言えば、弊社が発表した後、同様の取り組みが業界内に広がりつつあります。我々が始めた水産資源状態調査の流れが他の水産会社さんにも広まっているのは非常に喜ばしいですね。

水産資源がサステナブルなものになるように、我々がやるだけじゃなくて、周りの人たちを巻き込んでいかなければいけないということをすごく感じます。

 


東京サステナブルシーフードシンポジウム2019に登壇した屋葺さん

 

―― 巻き込んでいくためのお考えはありますか。

まずは川上。我々から見ればサプライヤーサイドへの働きかけですね。そして川下はお客さまへの働きかけ。お客さまからの働きかけもあるかもしれません。

―― ご自身がこれから取り組んでいきたいことは何でしょう。

私は自分に与えられた仕事をきちんとやりたいです。今はSeaBOSの活動に粛々と取り組んでいくことですね。

世界の水産業の中で、日本は一番消費が大きな国の一つじゃないですか。水産資源をそれだけ多く使わせていただいているのだから、水産資源をどれだけサステナブルにするかということも責任を持って考えなきゃいけないと、日本人として思います。

 

屋葺 利也(やぶき としや)
栃木県生まれ。1984年東京大学農学部水産学科卒業、日本水産株式会社入社。以来大半は国内外の養殖関連業務に従事。海外養殖現場もチリ、インドネシア、アメリカ等で経験。ニッスイの子会社でチリにあるサケ・マス養殖会社サルモネス・アンタルティカ(Salmones Antártica S.A.)には通算13年駐在し、2012~2016年はCEOを務めた。2016年帰国。2019年よりCSR部(2022年3月よりサステナビリティ推進部に名称変更)担当部長。SeaBOSをはじめ、WBA(※1)、FAIRR(※2)等の国際ネットワークに対応して水産サステナブル関連を担当。

(※1)World Benchmarking Alliance;世界の企業のSDGs達成度を評価、ランク付けしているオランダのNPO。2018年設立。
(※2)Farm Animal Investment Risk and Return;畜産業によるESGのリスクと機会への関心を高める機関投資家のネットワーク。2015年発足。

 

取材・執筆:井内千穂
中小企業金融公庫(現・日本政策金融公庫)、英字新聞社ジャパンタイムズ勤務を経て、2016年よりフリーランス。2016年〜2019年、法政大学「英字新聞制作企画」講師。主に文化と技術に関する記事を英語と日本語で執筆。