調達のプロがヒルトンで挑むサステナブル・シーフード調達目標達成(後編)

調達のプロがヒルトンで挑むサステナブル・シーフード調達目標達成(後編)

ヒルトンはサステナブル・シーフード目標を掲げ、2022年までに、世界各地の施設合計の水産物調達量の25%以上をMSC認証またはASC認証を取得した供給元から調達するという目標を打ち出しています。

アメリカの大学に進学して以来30年以上の在米生活を経て、ヒルトン入社を機に帰国した大井さんが日本で感じていること、そして、コロナ禍中、サステナブル・シーフード目標の達成に向けてどう取り組んでいくのか、今後の展望を伺いました。(前編を読む

 

アメリカへの進学と就職を振り返る

―― 日本の高校を卒業してすぐ、アメリカの大学に進学されたのですね。

高校1年の時、アメリカのサウスダコタにホームステイに行ったんです。大統領の顔を4つ、岩に彫ったマウントラシュモアという山がある州です。

当時は英語もしゃべれなかったけど、1ヶ月のホームステイはすごく楽しくて、アメリカにまた行きたいなあと。高校3年の時、アメリカで勉強したいと親に言ったら、あまり何も質問もされず一発OK。それで、また行ったんです。

サウスダコタってすごい田舎なので日本人が少なくて、いくら友達がいっぱいできても全部英語です。3~4ヶ月はホームシックにかかりました。

1991年、サウスダコタ州ラピッドシティのナショナル・アメリカン大学を卒業(写真提供:大井智博)

 

―― どっぷり英語漬けの大学生活を卒業しても、日本に帰らず、そのままアメリカで働く道を選ばれたのですか。

日本はバブルの時代で、帰れば就職先はたくさんあったと思うんですが、少しアメリカで働いてみたいと考え、一年間のプラクティカル・トレーニングのビザを取って、JTBのニュージャージー支店で営業の仕事を始めました。

結構それが楽しくて。今までずっと英語だったじゃないですか。JTBでは日本語と英語。こういうバランスを持つ仕事って面白いと思ったんですよ。日本ではできないんじゃないかなと。雇用ビザを取ってもらって、そのまま8年ぐらいJTBで働きました。

そのうち、例えば、団体営業では、航空会社やホテルやデスティネーション・マネジメントというランド・オペレーターとの交渉もするようになったのが、調達の仕事のきっかけなんですよね。

1999年、当時は松下電器(パナソニック)のグループ企業だった松下興産という会社の米国法人から、北米パナソニックの出張管理をしてもらえないかというお話を受けて、それが一回目の転職でした。その後、違う業界にも転職するんですけど。

 

調達という仕事の醍醐味

―― アメリカで経験を積んで調達のエキスパートになられたわけですが、大井さんにとって、調達という仕事の醍醐味はどのあたりにありますか。

醍醐味かどうかわかりませんが、調達って、クロスファンクショナル、つまり、横串なんですよ。横串でコミュニケーションをとれるので、いろいろな情報が入ってくる。その情報を使っていろいろなことができる。社内でどのようなことが起きているのか、大げさに言えば、会社全体の流れがわかるわけです。コストを下げたい時には、確実に調達にきますから(笑)。

営業から調達に移った時に思ったのは、営業って、例えば、利益率が1%だとすると、1ミリオンドル、つまり、1億円稼ごうと思ったら、100億円売らなきゃいけないわけですよ。

でも調達は、コストを下げる観点から言うと、1億円減らせば1億円なんですよ。100億円減らさなくていいんです。だから、そのあたりのインパクトがすぐに見えると思いました。今はそんなことあたりまえだと思っていますが。

例えば、ヒルトンでは14のホテルが日本にあって、それを横断的に全部見られる。何をみんなが使っているか、どういうプログラムをつくれば皆さんが喜ぶかということが、数字でデータ化してあるので、結構見えるわけなんですよね。

そういったデータを今後もどんどん提供していけば、ホテル全体のためにもなりますし、ヒルトンのためにもなりますし、個人としても達成感がありますね。

 

30余年ぶりの日本で感じるサステナビリティへの意識の違い

―― 何度目かの転職で、2018年にヒルトンに入られた経緯はどんな感じだったのでしょうか。

ヒルトンに転職する前にいたのが、トイザらスの本社だったんですが、2018年の2月に倒産しまして。仕事を探していたときに、たまたまヒルトンのリクルーターが、まめに連絡をくださって、私が今までやってきたことが使える業務内容でしたし、日本で、日本語も英語も使いながら仕事ができるのは良い環境だと思いました。

「日本で働く」というのは、私のバケットリスト(bucket list; 死ぬまでにやっておきたいことのリスト)の中にもあったんです。日本で働いたことがなかったので。

―― 30年以上の長い年月をアメリカで過ごして、日本に帰ってこられた時、どんなことを感じられましたか。

帰ってきた時の一番の印象は紙が多いこと。例えば、市役所に行くと、書類が全部、紙で出てくるじゃないですか。日本は紙の文化だと思いました。

―― サステナビリティへの意識についてはいかがでしょうか。アメリカと日本の違いを感じておられますか。

全然違うと思いますよ。うちのオフィスで言うと、全体的な環境負荷を減らすといったことは、もう全社員が知っていると思いますが、例えば、サステナブル・シーフードに関しては、シーフード自体に関連がない部署では、こちらから情報を流さないと認知度は上がらないと思います。うちのオフィス内でそうであれば、外に出たらもっとそうだと思うんですよ。

例えば、大手スーパーにMSCの認証商品が置いてあると、私はそれがサステナブル・シーフードだとわかりますが、うちの妻は知らないわけですよ。認証商品の認知度って、まだまだ低いんじゃないかと思いますね。

ヒルトン東京ベイではCoC認証を取りました。CoC認証を取ると、MSCとASCのエコラベルをメニューに付けられるのが一つのベネフィットで、「ヒルトンはこんな取り組みをしています」ということをお客様にも伝えられます。でもコロナ禍で、レストランを休業したり、お客様が減っているということもあって、お客様の認知度を上げるのは今後の課題です。

 


ヒルトン東京ベイの公式サイトより。レストランのメニューにASC認証のエコラベルが掲載されている。

社内の意識改革に必要なのはたくさんのコミュニケーション

―― 2020年からのコロナ禍は、サステナブル・シーフード目標の達成にも大きな影響を及ぼしているのですね。

そうですね。認証商品って輸入に頼っているところがありますからね。今現在はやっぱり商品が欠品してるんですよ。

認証商品の割合がJKM(日本・韓国・ミクロネシア地区)で20%近くまでいって、日本で言うと、2021年の12月までの累計で26.8%ですが、今年の第1四半期(Q1)はちょっと数字が減るような気配もあります。

2022年末までに25%という目標を達成する上で、このQ1でつまずくのは非常にイヤなんですけど、こればっかりはね。例えば、東南アジアでロックダウンがあると、商品が入ってこないんです。入ってきても、輸送や流通が遅れているので時間がかかるものもあります。まあ、これは魚だけではないんですけど。輸入品が今、結構大変ですね。

現時点では、1月から3月ぐらいまでは入ってくるかどうかわからないので、それに代わるものを一生懸命探しています。今まで考えてなかったものも検討しないといけないということで、最近は、練り物なども、BtoBの商品がないか、実は、シーフードレガシーにお願いして探してもらっているんです。見つかるかどうかわかりませんが、できることは全部やらないといけないと思います。

―― コロナ禍で苦境にあるホテル業界ですが、引き続き、サステナブルな調達を進めていくために、社内ではどのように取り組んでいかれますか。

繰り返しになりますが、絶対に必要なのは、たくさんのコミュニケーションです。あらゆる形で、コミュニケーションは何回も何回もする必要がありますし、地道にやっていくしかないと思っています。

まずは、調達部門のスタッフにわかってもらいたい。そのために、社員研修やセミナー、そして、月に一度の日本全体の会議の時に、進捗状況や事例の紹介などの情報のシェアもいろいろやっています。

2021年10月、シーフードレガシー、UMITO Partnersとの協働パートナーシップの覚書締結の際に開催されたイベントで話す大井さん。(写真提供:ヒルトン)

 

私達もそうなんですけど、一回聞いても理解していないと思うんですよね。何回も何回も聞けば、ああそうなんだと思うようになる。だから、できるだけ、たくさんコミュニケーションをとり、たくさんの情報をシェアする。

最終的には一人ひとりの行動が大事になってくるので、一人ひとり、できるだけたくさんの人がいろいろな情報を持っているという形に持っていくのが重要だと思います。

 

 

大井 智博
1967年京都府生まれ。1986年に大学生として渡米。卒業後も米国に残り、営業職を数年経て、24年間様々な業種の調達に携わる。2018年にヒルトンに入社並びに日本へ帰国。日本・韓国・ミクロネシア地区内の調達方針と計画と取りまとめ、チーム編成や供給管理など購買調達業務を統括。グローバルな取り組みの架け橋としてもサポート。調達機能の向上、業務効率化、調達チームメンバーの育成等を目指し、持続可能な調達の実践を含む戦略的なイニシアチブを遂行している。

 

取材・執筆:井内千穂
中小企業金融公庫(現・日本政策金融公庫)、英字新聞社ジャパンタイムズ勤務を経て、2016年よりフリーランス。2016年〜2019年、法政大学「英字新聞制作企画」講師。主に文化と技術に関する記事を英語と日本語で執筆。