ミシュランシェフが考える、日本の水産、外食産業に必要な新たなムーブメントとは(後編)

ミシュランシェフが考える、日本の水産、外食産業に必要な新たなムーブメントとは(後編)

2022年6月8日にニューヨークの国連総本部で行われた「世界海洋デー」イベントでスピーチを行い、現地でたしかな手応えを感じたという生江史伸さん。このイベントを機に、研究者や北欧の生産者など、新たな人とのつながりもあったといいます。(前編を読む

現在、東京大学大学院 農学生命科学研究科 農業・資源経済学専攻 食料・資源経済学研究室で、博士号の取得も目指している生江さんが掲げる次の目標は、今までの枠を超えてさまざまなステークホルダーとつながり、水産業界に新たな動きを生み出すこと。

その生江さんが考える、日本の水産の問題や料理人としての向き合い方、今後の展望などについてお話を伺いました。

 

あらゆるステークホルダーをまとめる強いリーダーシップが必要

——日本の水産物は輸入品が4割を占めるなど、サプライチェーンが長くなり、生産地と消費者の距離は遠くなりつつあります。そんな中、日本の水産にはどのような問題があると思われますか。

水産業には、農業におけるFarm to Tableのような、畑と食卓をつなぐ活動があまりありません。また、農産物は東京で言えば大田市場というメインのマーケットがありますが、そのオルタナティブなマーケットとして「らでぃっしゅぼーや」や「オイシックス・ラ・大地」などが規模を拡大し、その影響を受けてメインのメーケットも進化しています。

それに対して、水産物はメインのマーケットを刺激するオルタナティブなマーケットがあまりないように思われます。また、サプライチェーンのあらゆる過程で生じた歪みを全体的に捉えて、さまざまなステークホルダーを取りまとめ、グランドデザインを描けるような強いリーダーシップも必要なのではないでしょうか。

——料理人として、日本の水産の問題に対してどのような対策ができると考えていますか。

存続が危ぶまれている魚は、無理に食べなくても代替できるものがあると思っています。資源の状態に合わせて食の文化も進化していくべきというのが、私の周りにいる多くの料理人たちの共通認識です。私たちの店でも資源への配慮から産卵するコウバコガニ(メスのズワイガニ)の使用をやめました。

料理人がかつて修業した時代のものを守るとか、漁師が若い頃に体で覚えたものにこだわるとか、そういった状態から脱却して、今は次のステージにいかなければなりません。しかしそれは1人の力で変えられるものではなく、皆が納得する科学的根拠や、強制的な政策の力が必要です。

日本の水産分野では、科学と政策がうまくつながっていないのではないでしょうか。科学者が問題を提示しても、政府が聞き入れていないと思われることも多々あります。また、科学には十分な資金と人材が投入されていないと感じています。

 


マナガツオを使ったひと皿。店では生江シェフが自身で選んだシーフードのみを使っている(Photo by Yasuko Takada)

 

——日本サステイナブル・レストラン協会の活動に参加して気付いたこともあるそうですね。

英国のSustainable Restaurant Association(SRA)と連携している同協会の「FOOD MADE GOOD サステナビリティ・レーティング」という活動に参加し、サステナビリティに関する質問に答えたのですが、その中で「従業員が休日にボランティア活動をした場合、給与査定に反映していますか」という質問があったのです。

料理人は厨房という狭い場所に仕事が集約されていますので、周りとの関わりがなくなってしまいがちです。しかし社会に属しているのであれば、得たものを何らかの形でコミュニティに還元するというのが、サステナビリティのテーマのひとつになっているのです。

サステナビリティとは、ただオーガニックな野菜や認証の魚を使えばいいということではなく、社会に対してどう取り組んでいくかというところまで含めてサステナビリティなのだということを学びました。私たちもこれまで社会情勢に合わせてさまざまなボランティア活動をしてきましたが、これからも積極的に取り組むつもりです。今年もイベントの売り上げから、ウクライナを支援しているワールド・セントラル・キッチンに寄付を行いました。

※日本サステイナブル・レストラン協会:フードサービス業界のビジネスがサステナブルに運営できるようにサポートし、持続可能なフードシステムの構築を目指す一般社団法。「世界のベストレストラン50」でサステナブル・レストラン賞の評価も行う英国本部と連携し、格付けやキャンペーンを実施。サプライヤーやレストラン、消費者コミュニティの構築を通して、フードシステムの課題解決に取り組み、食の持続可能性を推進している。
https://foodmadegood.jp

 

東京大学大学院で、外食産業の価値を定義するための研究に従事

——現在、東京大学大学院 農学生命科学研究科 農業・資源経済学専攻 食料・資源経済学研究室で博士号取得を目指しているとのこと、進学しようと思われたのはなぜですか。

料理人には、生データにアクセスしていく能力がありません。しかし、生データに迫っていかなければ、真実は見えてきません。

私の店では昨年の冬から、それまでお出ししていたコウバコガニを扱うのをやめました。石川県で水産資源の研究をしている方のデータによると、60年前に比べて現在のズワイガニの漁獲量は1/4〜1/5に減っているということがわかったためです。しかし一般には、過去10年のデータのみを切り取って資源量は安定していると発表されているため、真実を知らない方も多くいるはずです。

ズワイガニは1997年からTAC制度(魚種別に1年間の漁獲量を漁獲可能量としてあらかじめ定める制度)が導入され漁獲量が制限されているため漁獲量が減っているということもありますが、それ以降20年間、資源量も増えていません。

これからは真実を知るための生データに自分から積極的にアクセスする技術を身につけ、その上で行動を起こしていきたいと思ったのが、進学を決めた理由です。

——研究室ではどんなことを研究されていますか。


シェフとしてレストランの厨房に立つ傍ら、東京大学大学院で研究も行っている

 

食料・資源経済学研究室では、食料(生産の場)と資源をどうやって動かしていくか(流通)のフードシステムについて研究をしています。このフードシステムをよく「川上(生産地やそれを取り巻く環境)から川下(消費者)」とも言いますが、私たちはレストランとして川上と川下の間に入っている中間業者だということになります。

私は、この中間業者である外食産業が、フードシステムの中でどういう価値を持っているのか定義づけをする、という研究をしています。

私たちはガストロノミーというハイエンドな業態ですが、外食にはさまざまな業態があり、利用者もとにかくお腹を満たしたい、美味しいものを食べて幸せになりたい、誰かと一緒に共有して仲良くなりたいなど、さまざまなニーズを持っています。しかし、それらが正しく分類されておらず、外食全体が十把一絡げで扱われることが多々あります。

そこで私は、外食産業を改めて整理・分類することによって、外食産業の価値を立証し、社会へいかに貢献できるかを定義しようとしています。そのために外食業者や利用者にアンケートを取るなどしています。

この研究を進めることによって、外食業者自身の認識に間違いがあればそれを正すこともできるはずです。震災やコロナ禍では価値を認められることが難しい外食産業が、どうすれば正しく社会に貢献し価値を認められるか、その答えを見つけられればと思っています。

これまでの枠を超えて、横のつながりを広げ新たな協働へ

——今後の展望をお聞かせください。

大学院への通学は、店の運営もあるため修士号を取得した時点で一旦終了しようと思っていますが、研究室の仲間たちとは情報交換を続けていくつもりです。

そして次の目標は、外食産業の中でさまざまな議論を高めていくのと同時に、違うフィールドのプレイヤーとつながることです。

例えば、水産の流通・小売業者や、水産に関わる研究者や活動家、より多くの漁師や仲買人とつながり、それぞれの枠を超えて協働ができればと思っています。さらにそこへ、国連の「世界海洋デー」でつながった研究者や、以前からつながりのあるフリーダイバーなども交えた意見交換の場を作ることができれば、それが大きな横のつながりとなり、新しい動きに発展させていけるのではないでしょうか。

これまでの枠を超えたつながりで新しいチャレンジをしながら、次の世代を良い方向へ導いていけるように、道を舗装していきたいですね。

 


さまざまなフィールドのプレイヤーとの繋がりが大事だと語る生江シェフ。挑戦はこれからも続く

 

生江史伸(なまえ しのぶ)
1973年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学卒業後、広尾「アクアパッツァ」で料理の道に入る。2003年より北海道「ミッシェル・ブラス トーヤ ジャポン」でフランス料理の研鑽を積み、フランス・ライヨールの本店「ミシェル・ブラス」へ。2005年よりスーシェフ(副料理長)。2008年よりイギリス「ザ・ファットダック」でスーシェフおよびペストリー(パティシエ)を務め、2009年に帰国。2010年「レフェルヴェソンス」のオープンよりエグゼクティブシェフを務める。
http://www.leffervescence.jp

取材・執筆:河﨑志乃
デザイン事務所で企業広告の企画・編集などを行なった後、2016年よりフリーランスライター・コピーライター/フードコーディネーター。大手出版社刊行女性誌、飲食専門誌・WEBサイト、医療情報専門WEBサイトなどあらゆる媒体で執筆を行う。